まちと住まいの空間 第40回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑪――江戸と昭和の高度成長期への変貌(『佃島』より)(4/4ページ)
岡本哲志
2021/09/28
佃大橋の竣工式からエンディングへ
佃大橋が完成した竣工式の日(1964年8月27日)、橋上で渡り初めが盛大に行なわれた。
東京オリンピック開催のこの年、東京都知事は2期目の東龍太郎(1893〜1983年、都知事1959〜67年、医学者、東京大学名誉教授)だった。佃大橋開通式のテープカットに東都知事が加わる。このとき副知事に就任していた鈴木俊一(1910〜2010年/都知事在職1979〜95年)も、都知事とともに佃大橋の竣工式に参列した。
東都知事は、スポーツ振興に造詣が深く、昭和25(1950)年から長い間IOC委員を務めるなど国際スポーツ界に通じ、1964年東京オリンピック誘致に深く関わる。だが、実務的な行政手腕はなかった。
東京オリンピック開催を軌道に乗せた功績は鈴木俊一副知事によるところが大きく、当時は「東副知事・鈴木知事」と揶揄された。それでも、人柄の良さで東京オリンピックの時も都知事の座にあり続けた。
映画のエンディングは「時の流れに流された渡し船―東京都・佃島―」のフリップから。
次いで「お知らせ 佃島渡し船は本日午后三時に廃止(1964年8月27日)しました」と、東京都中央区役所設置の立て看板が映し出される。東京オリンピックが開催される少し前に佃の渡しは廃止となり、渡し船最終便の映像となる。多くの人が見守るなか、満員となった渡船が佃島の桟橋を離れた。
ナレーターの青木一雄は、最後に「隅田川の汚さ」を強調する。昭和30年代中ごろは「隅田川のBODが40mg/Lにも達し、魚も住めない状態」と解説。当時の新聞は悪臭が甚だしい隅田川を取り上げた。昭和50年代中ごろ、漁船で東京の川をはじめて巡った。その時体験したひどい悪臭の記憶が映像を見てよみがえる。現在、東京の川の水質は随分と改善され、多くの人たちは魚が棲める東京の川で小さな船旅を楽しむ。
次回の41回からは、「江戸東京の古道と坂道」の話をしていきたい。
【シリーズ】ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり
①地方にとっての東京新名所
②『大正六年 東京見物』無声映画だからこその面白さ
③銀座、日本橋、神田……映し出される賑わい
④第一次世界大戦と『東京見物』の映像変化
⑤外国人が撮影した関東大震災の東京風景
⑥震災直後の決死の映像が伝える東京の姿
⑦関東大震災から6年、復興する東京
⑧昭和初期の東京の風景と戦争への足音
⑨高度成長期の東京、オリンピックへ向けて
⑩東京の新たな街づくり、近代化への歩み
【シリーズ】「ブラタモリ的」東京街歩き
この記事を書いた人
岡本哲志都市建築研究所 主宰
岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。