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まちと住まいの空間 第40回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑪――江戸と昭和の高度成長期への変貌(『佃島』より)(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/09/28

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佃煮の起源と佃島

佃島は佃煮が有名である。佃煮の起源に関してはいろいろと異説がある。

佃島においては、悪天候時や出漁時の食料に小魚や貝類を塩で煮詰めた保存食がはじまりともされる。高級品とされる上方(関西方面)の薄口醤油に対し、寛永年間(1624〜45年)には安い関東地廻りの濃口醤油が江戸で出回るようになった。江戸時代中期になると、佃島でも醤油で煮詰めた佃煮が製造され、江戸後期には商いとしても成り立つ。

そのひとつに、天保期(1830〜44年)創業の「天安」がある。建物は昭和13(1938)年に建てられたもので、映画でも紹介され、現在も変わらぬ姿で佃煮を商う。
 
豊富な地下水から汲み上げられた佃島の井戸水は、漁師町の生命線である。現在でも、佃島を訪れると各所で路上に設置された井戸と出合う。家の中に井戸のある建物には、漁師町ならではの工夫が見られる。


家の中の井戸と取り外し可能な建具を取り付けた玄関(2013年撮影)

魚を捌く時、敷居も含め建具を簡単に取りはずせ、室内が半屋外となる。撮影スタッフに注文されたのだろう、映像に出てくる人たちはこれでもかと勢いよく井戸水を出す。路上では、布の洗濯、障子の張り替えなどの作業が行われ、水のある生活風景が描き出された。

隅田川に向けられた大鳥居から住吉神社へ向かう参道に映像が切り替わる。

映画が撮られた昭和30年代中ごろの参道は、古い建物が連続し、風情のあるまち並みだった。現在はすでに建て替えが進み、一つひとつの建物がすっかり様変わりした。


現在の住吉神社参道のまち並み(2013年撮影)

ただし、子どもが盛んに水を出すシーンに登場した井戸は健在で、同じ場所にある。水もしっかりと出る。井戸水は使わないと枯れてしまうことから、佃島の人たちが今も大切に井戸を使い続けていると分かる。

映画の前半は住吉神社で締めくくる。8月上旬の大祭を前に、本殿に供物を備えた光景が撮られた。本殿脇にある能舞台では笛、太鼓が粛々と奏でられ、大祭に向けた準備に余念がない。巨大都市となった東京の喧騒が嘘のように感じられる。

昔ながらの風景を一変させる佃大橋建設の記録

佃島の牧歌的な光景が映画の後半一転する。

江戸時代の黒船を引き合いに、時代がかったナレーションが入り、巨大な黒い塊が勝鬨橋方面から姿を現す。佃大橋建設のために運ばれてきた長さ40m、重量150トンもある鋼鉄のブロックである。

東京オリンピック(10月10〜24日)開催間近の8月27日、佃島と明石町を結ぶ佃の渡しが行き来した幅220mの隅田川に、橋の長さ476.3m、幅25.2mの佃大橋が3年近い歳月(1961年12月着工)をかけて完成する。橋の建設は、東京都第一建設事務所、株式会社錢高組が行い、最新技術が導入された。引船で運ばれた橋桁が当時日本最大の船上クレーンで組み上げられていく光景とともに、「3径間連続鋼床鈑箱桁橋」「大ブロック一括架設工法」と、専門用語が次々に飛び出す。工法の解説では、ナレーターを務める青木一雄の語気が強まる。

橋桁などの鋼材は、石川島播磨重工業佃工場で製作された。江戸時代、人足寄場だった石川島は、水戸藩9代藩主徳川斉昭(なりあき、1800〜60年、15代将軍慶喜の実父)の手により嘉永6(1853)年に創設され、日本の近代造船業発祥の地となった地だ。その後、近代日本を支える重工業の中心的存在となった。

しかし、佃大橋架橋から15年後、昭和54(1979)年に、その役割を終える。私はその前年(1978年)、佃大橋を渡り佃島に向かう途中、橋の上から見た石川島播磨重工佃工場は、まさに歴史を閉じようとしていた。そして、その跡地は「リバーシティ21」と名付けられたウォーターフロント開発へと進展する。

佃大橋建設の映像には、測量作業が進むなか、埋め立て以前の船溜り、河岸沿いのまち並みが撮られていく。佃大橋建設現場の背後には、昭和8(1933)年に竣工した塔のある聖路加病院が見える。聖路加病院の再開発では、この建物が保存され、隅田川に面して建つ超高層ビルの聖路加タワーが平成6(1994)年に竣工した。聖路加タワーの上層階にはホテルが入っており、その客室から佃島と佃大橋が一望できる。たまたま、早朝にテレビの撮影が入り、平成23(2011)年3月このホテルに宿泊した。


聖路加タワー上層階のホテルから佃島と佃大橋を眺める(2011年撮影)

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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