ウチコミ!タイムズ

賃貸経営・不動産・住まいのWEBマガジン

ジェンダーレスを考える――何かにつけてカテゴライズしたがる人間たち(1/2ページ)

遠山 高史遠山 高史

2021/06/17

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

イメージ/©︎gamjai・123RF

雌雄の区別をしている生物は少数派

昨今、ジェンダーレスが叫ばれている。有名な雑誌がこぞってPRしているし、行政も改革に乗り出しているようだ。
 
私に身近なことでいえば、「看護婦」が「看護師」になったことであろうか。当初はとまどったが、今ではすっかり定着した。

生まれ持った性別にとらわれず、社会的、文化的性差をなくそうというのが趣旨であるが、これはいかにも近代的な思想であるように思う。

そもそも、女性であるとか男性であるとか区分けしているのは、人間が社会生活を営むうえで、便利であるからというだけのことである。

自然に目を向ければ、性別というものが実に曖昧で多様なものだというのがよく分かる。例えば、カタツムリは雌雄同体であるし、性転換をするタイプの魚類は多い。生物全体を見渡せば、明確に雌雄を分けているほうが少数派だといえるかもしれない。

人間社会にしても、インドのヒジュラ―という存在は、身体的には男性にカテゴライズされるが、巫女のような位置づけで、聖者として扱われ、インドの文化に深く根ざしているそうだ。また、タイは世界的にも、性別に対しておおらかであるようで、多くのセクシャルマイノリティたちを受け入れている。

日本でも、戦国時代、武将が男児を寵愛したという話はよくあった。織田信長と森蘭丸の関係は、あまりにも有名な話である。よく目を凝らせば、ファジーに性別をとらえている例は結構あるのだ。

とはいえ、社会生活において、マイノリティは、マジョリティからの差別を受やすいこともまた事実である。殊に、近代社会は何かとカテゴライズしたがる傾向にあるから、意識的に性差別を払拭しようという試みは、成熟した社会をめざすうえで必要なプロセスであろう。

次ページ ▶︎ | バーで出会った彼女たち 

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

この記事を書いた人

精神科医

1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。

ページのトップへ

ウチコミ!