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社会の「分断」を生み出す理由とそれを防ぐ方法

遠山 高史遠山 高史

2021/08/27

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イメージ/©︎alexstockphoto21・123RF

常に繰り返されてきた「分断」

「分断」という言葉をよく耳にするようになった。

トランプ氏がアメリカ大統領在職中は、アメリカ分断の危機だといわれたし、イギリスのEU離脱の報道も、「分断」がキーワードとして使用されていた。未だ続くコロナ禍中、この「分断」という言葉が、より強調されているようだ。そもそも、分断とは、なんなのだろうか。

単語の意味自体は「断ち切って別れ別れにすること」とあるが、何をもって分断とするか、視点を変えるとその定義は曖昧になる。

分断の対義語は「統合」というところであろうか。しかし、そもそも人類が真の意味で統合できたことがあっただろうか。一見集団として成り立っていても、それを構成する一人ひとりは、実に個性豊かで、それぞれが異なる意思を持って活動している。

会社組織を例にとると分かりやすい。

集団そのものは、営利を目的とし、同一の方向に向かって運営されてはいるが、そのなかで働く人間には、役割がそれぞれあり、考え方も行動も異なる。もちろん、階級も存在する。平等ではないし、公平でもない。そして派閥があり、対立する。社内抗争で負けたほうが社を辞めて、新たに法人を設立するというような話は多い。

これは今に始まったことではなく、原始の頃から、人間は格差を利用し、時に分断し、分断され、歴史を紡いで来た。

批判を恐れずにいうと、揉め事と分断は、社会と切り離すことはできず、それは、格差によってもたらされる。そして、その不満が分断の起爆剤となるのだ。

先人たちの足跡をたどれば、それは国家に限らず、家族や友人関係というような小さなコミュニティでも基本的には同じで、乱暴な言い方をすれば、我々は常に何かを分断し、何かから分断されているということになる。

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“無理矢理に押しつけられる”情報

では何故、今になって、この「分断」が、メディアにここまで取り上げられるようになったのか。

それは、世界中に張り巡らされたネットワークに寄るところが大きいと思っている。インターネットは、人々の負の感情を助長し、蔓延させている。

もちろんコロナ禍の閉塞感が不安を喚起させる事もあるかと思うが、最大の要因は、各々があまりにも簡単に情報を手に入れ、そして、吐き出すことができるというところにあるのではないか。

スマートフォンという便利な機械の画面上には常に最新のニュースが表示される。

一部の勝ち組の華やかな活動、充実した著名人の幸せそうな生活、国と国との摩擦、異なる民族間の争いなど、あらゆる情報が、容易に手に入る。いや、無理やり押し付けられているのだ。

知らなければ、海の向こうの富豪の生活など無縁の物だったはずだったのに、知ってしまえば、我が身と比較したくなるのは、人間の性というものだろう。

他者との比較によって、人は格差を意識し、自分が虐げられていると思い、世間から分断されているのではないかと感じるだろう。

人間の脳みそは、進化していない。ゆえに、物質的には変化したかもしれないが、社会構造の本質も、古い時代と同じである。以前と異なることと言えば、憂慮すべき事柄が圧倒的に増えたということに尽きる。

皆うまくやっているに違いない――。

私だけが、不幸なのでは。国と国とが争っている。このままでは、世界は、バラバラになってしまうかもしれない。

私は、膨張し続ける情報の渦が人々の「分断」感を強めていると思っている。

今や情報は民主化された。誰でも、自由に、情報を手に入れることができる。だが、それは、形なき分断の影を生みだし、人々の不安を増大させている。


イメージ/©︎chompoonut・123RF

「三猿」をご存じだろうか。

有名なところでは、日光東照宮の神馬(しんめ)の厩舎(きゅうしゃ)に彫り込まれている。
人は都合の悪い事を、見たり聞いたり言ったりしがちだが、それはしないほうがよいことがあるぞという戒めを表している。

我々は、三猿に学ぶことが多くあるのではないだろうか。

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この記事を書いた人

精神科医

1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。

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