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まちと住まいの空間 第40回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑪――江戸と昭和の高度成長期への変貌(『佃島』より)

岡本哲志岡本哲志

2021/09/28

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連載第40回目は『佃島』(1964年、製作:浮田遊兒、解説:青木一雄、18分、所蔵:国立映画アーカイブ)である。この回で「ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり」のシリーズは一旦終了する。

今回取り上げる『佃島』は、昭和39(1964)年に開催された東京オリンピックの時代に撮られた記録フィルムである。前半が「佃大橋建設以前の佃の渡しと佃島の風景」、後半が「佃大橋建設の記録」と、2つのパートに分けて映画は進行する。

オーバーラップするはじめて訪れた佃島の風景と映画のプロローグ

映画のはじまりは、完成した佃大橋の上にまずカメラが据える。

隅田川を中心に、対岸の湊や新川のまち並み、石川島播磨重工業(現・IHI)佃工場、佃島を一望。

隅田川沿いに張り巡らされた高潮防潮堤のコンクリート護岸が真新しい。佃島は、古い木造のまち並みに混ざり、銭湯の入る4階建鉄筋コンクリート造の建物が見える。この映画が撮られた昭和30年代中ごろ、現在も佃島で唯一の中層ビルがすでに誕生していた。

映像は、次に対岸の湊三丁目側から隅田川越しに佃島を望み、右にパーンして佃大橋が画面に入り、橋の上を多くの車が行き交う光景に変わる。

私は昭和53(1978)年、26歳の時にはじめて佃島を訪れた。遅すぎるといわれると、そうなるが、今でこそ昭和63(1988)年に東京メトロ有楽町線、平成12(2000)年に都営大江戸線が開業して乗り入れる月島駅が佃島近くに設けられ、大変便利になっている。しかし、私がはじめて佃島を訪れた時(1978年)は、東京メトロ日比谷線の築地駅(1963年開業)で下車し、聖路加病院があるかつての築地居留地跡(明石町)を抜け、佃大橋を渡るルートが最短距離だった。

「佃大橋」と名が記された交差点の信号機上には、立体交差した巨大な橋がもの凄い威圧感で覆い被さる。隅田川まではまだ100m以上もあった。まず対岸(現・湊三丁目)から佃島を見たいと、隅田川護岸沿いに設けてある通路に上がり、やっと待望の佃島を眺めた。


対岸から見た佃島(1978年撮影)

隅田川河口付近は川幅も広く、200m以上の幅がある。隅田川を渡り切る手前で、佃大橋の上から佃島のまち並みを見た。プロローグで映された映像は、今から43年前に撮った私の写真と撮影場所が重なる。


佃大橋からの佃島の眺め(1978年撮影)

300年を超える佃島の歴史

映像は地上からヘリコプターの空撮へ。佃大橋と東京都道473号線、佃川の埋め立てで月島と陸続きになった佃島が映された。


映画に映された場所

その後、画面は佃島の歴史へと導かれる。江戸時代のイメージ映像は、宝永7(1710)年の沽券絵地図、江戸時代後期に絵師たちが描いた佃島の絵と続く。

佃島の歴史は、正保元(1644)年に鉄砲洲東の干潟を埋め立てたことにはじまる。

人が住める島となった佃島に、徳川家康が大坂からすでに呼び寄せていた漁師を住まわせた。町の鎮守は大坂から勧進した住吉神社。江戸にありながら、江戸ではない世界が誕生する。江戸の案内記には、天和3(1683)年の『紫の一本(ひともと)』においてはじめて佃島が紹介された。その後は名所記、名所絵に度々登場する。

この島は、海で四周を巡る環境が路地の魅力をつくりあげた。佃島の路地は漁師町特有である。

生活と仕事、それぞれの路地が交互に通され、江戸町人地の2倍もの数にのぼり、高密度に路地が巡る。しかも、雨風を凌ぐ工夫として、幅が狭い。すでに陸続きとなった今でさえ、路地が細かく通された光景は、佃島特有の別世界に誘う。

江戸から残る佃の渡しと昭和30年、変わる水辺風景

映画では北斎などの絵が映されてから、手漕ぎ船の模型をバックに、スタッフ紹介のフリップ、タイトルとなり、佃島と明石町を行き来する渡船と佃の渡船場が画面に登場する。佃の渡しはこの映画の主役であり、じっくりと撮影された。学校帰りの生徒、自転車とともに乗り込む男性、買い物帰りの家族など、佃島に生活する人たちの表情がさまざまに撮られていく。


佃島から来た渡船と明石町の渡船場(『目でみる東京百年』東京都、1968年より)

佃の渡しは、大正15(1926)年に手漕ぎ船から蒸気船に代わった。それを記念した石碑「佃島渡船」(1927年製作)が今も渡船場跡にある。渡船が廃止される以前は、朝6時から夜22時まで64往復し、実に15分に1回、佃の渡船場を発着した。映画では1日に約8000人、約1000台の自転車を乗せて隅田川を行き来したと解説する。島に暮らす当時の人たちにとって、渡船は生活を支える最も大切な交通手段だった。

手漕ぎ船の時代、隅田川の往復は思いのほか大変だったのではないか。8人が漕ぎ手なのだが、Eボート(10人乗り手漕ぎゴムボート)で隅田川を横断したことがある。その時は満潮にあたり、一挙に1m近くも水面が上昇した。上げ潮に流され、目的の対岸まで思うようにボートを前に進められなかった。自然のパワーと向き合い、渡し船が手漕ぎだった時代の難儀さをはじめて実体験した。

佃島のまち並み

渡船が佃の渡し場に着き、船に乗り込んでいた人たちが町中に消えていく。映画では、町の中心に架かる佃小橋からまず撮りはじめた。


入堀と佃小橋(1978年撮影)

カメラは、隅田川を背に、現在の佃三丁目方面を映す。

映像の背後にある月島(現・佃二・三丁目、月島の埋立地のなかで町名は佃)では、ぽつぽつと6、7階建のビルが建つ。カメラが右にパーンして、佃川に通じる掘割(佃支川)の風景へ。

佃島は、佃小橋が架かる掘割を挟み、2つの島からできていた。

そして、佃小橋の上から佃支川をカメラがとらえる。今では月島の方に多くの船が係留され、この入堀で現在見かける船はわずかだが、漁師町として輝いていた時代のイメージを残して掘割が公園化した。

江戸時代初期から、海、掘割に面する土地は幅京間7間(京間1間=1.97m)と空地が広く取られ、漁に向けた作業の重要なスペースだった。佃小橋の西側の空地は日常として網をつくろう場となる。その光景が映画にも登場する。橋と道路の建設で佃川が埋め立てられる以前、月島へ渡る佃橋が架けられていた。その橋上では開いた魚を板に並べて干した。そのシーンを佃島の風物詩として撮る。

佃煮の起源と佃島

佃島は佃煮が有名である。佃煮の起源に関してはいろいろと異説がある。

佃島においては、悪天候時や出漁時の食料に小魚や貝類を塩で煮詰めた保存食がはじまりともされる。高級品とされる上方(関西方面)の薄口醤油に対し、寛永年間(1624〜45年)には安い関東地廻りの濃口醤油が江戸で出回るようになった。江戸時代中期になると、佃島でも醤油で煮詰めた佃煮が製造され、江戸後期には商いとしても成り立つ。

そのひとつに、天保期(1830〜44年)創業の「天安」がある。建物は昭和13(1938)年に建てられたもので、映画でも紹介され、現在も変わらぬ姿で佃煮を商う。
 
豊富な地下水から汲み上げられた佃島の井戸水は、漁師町の生命線である。現在でも、佃島を訪れると各所で路上に設置された井戸と出合う。家の中に井戸のある建物には、漁師町ならではの工夫が見られる。


家の中の井戸と取り外し可能な建具を取り付けた玄関(2013年撮影)

魚を捌く時、敷居も含め建具を簡単に取りはずせ、室内が半屋外となる。撮影スタッフに注文されたのだろう、映像に出てくる人たちはこれでもかと勢いよく井戸水を出す。路上では、布の洗濯、障子の張り替えなどの作業が行われ、水のある生活風景が描き出された。

隅田川に向けられた大鳥居から住吉神社へ向かう参道に映像が切り替わる。

映画が撮られた昭和30年代中ごろの参道は、古い建物が連続し、風情のあるまち並みだった。現在はすでに建て替えが進み、一つひとつの建物がすっかり様変わりした。


現在の住吉神社参道のまち並み(2013年撮影)

ただし、子どもが盛んに水を出すシーンに登場した井戸は健在で、同じ場所にある。水もしっかりと出る。井戸水は使わないと枯れてしまうことから、佃島の人たちが今も大切に井戸を使い続けていると分かる。

映画の前半は住吉神社で締めくくる。8月上旬の大祭を前に、本殿に供物を備えた光景が撮られた。本殿脇にある能舞台では笛、太鼓が粛々と奏でられ、大祭に向けた準備に余念がない。巨大都市となった東京の喧騒が嘘のように感じられる。

昔ながらの風景を一変させる佃大橋建設の記録

佃島の牧歌的な光景が映画の後半一転する。

江戸時代の黒船を引き合いに、時代がかったナレーションが入り、巨大な黒い塊が勝鬨橋方面から姿を現す。佃大橋建設のために運ばれてきた長さ40m、重量150トンもある鋼鉄のブロックである。

東京オリンピック(10月10〜24日)開催間近の8月27日、佃島と明石町を結ぶ佃の渡しが行き来した幅220mの隅田川に、橋の長さ476.3m、幅25.2mの佃大橋が3年近い歳月(1961年12月着工)をかけて完成する。橋の建設は、東京都第一建設事務所、株式会社錢高組が行い、最新技術が導入された。引船で運ばれた橋桁が当時日本最大の船上クレーンで組み上げられていく光景とともに、「3径間連続鋼床鈑箱桁橋」「大ブロック一括架設工法」と、専門用語が次々に飛び出す。工法の解説では、ナレーターを務める青木一雄の語気が強まる。

橋桁などの鋼材は、石川島播磨重工業佃工場で製作された。江戸時代、人足寄場だった石川島は、水戸藩9代藩主徳川斉昭(なりあき、1800〜60年、15代将軍慶喜の実父)の手により嘉永6(1853)年に創設され、日本の近代造船業発祥の地となった地だ。その後、近代日本を支える重工業の中心的存在となった。

しかし、佃大橋架橋から15年後、昭和54(1979)年に、その役割を終える。私はその前年(1978年)、佃大橋を渡り佃島に向かう途中、橋の上から見た石川島播磨重工佃工場は、まさに歴史を閉じようとしていた。そして、その跡地は「リバーシティ21」と名付けられたウォーターフロント開発へと進展する。

佃大橋建設の映像には、測量作業が進むなか、埋め立て以前の船溜り、河岸沿いのまち並みが撮られていく。佃大橋建設現場の背後には、昭和8(1933)年に竣工した塔のある聖路加病院が見える。聖路加病院の再開発では、この建物が保存され、隅田川に面して建つ超高層ビルの聖路加タワーが平成6(1994)年に竣工した。聖路加タワーの上層階にはホテルが入っており、その客室から佃島と佃大橋が一望できる。たまたま、早朝にテレビの撮影が入り、平成23(2011)年3月このホテルに宿泊した。


聖路加タワー上層階のホテルから佃島と佃大橋を眺める(2011年撮影)

佃大橋の竣工式からエンディングへ

佃大橋が完成した竣工式の日(1964年8月27日)、橋上で渡り初めが盛大に行なわれた。

東京オリンピック開催のこの年、東京都知事は2期目の東龍太郎(1893〜1983年、都知事1959〜67年、医学者、東京大学名誉教授)だった。佃大橋開通式のテープカットに東都知事が加わる。このとき副知事に就任していた鈴木俊一(1910〜2010年/都知事在職1979〜95年)も、都知事とともに佃大橋の竣工式に参列した。

東都知事は、スポーツ振興に造詣が深く、昭和25(1950)年から長い間IOC委員を務めるなど国際スポーツ界に通じ、1964年東京オリンピック誘致に深く関わる。だが、実務的な行政手腕はなかった。

東京オリンピック開催を軌道に乗せた功績は鈴木俊一副知事によるところが大きく、当時は「東副知事・鈴木知事」と揶揄された。それでも、人柄の良さで東京オリンピックの時も都知事の座にあり続けた。

映画のエンディングは「時の流れに流された渡し船―東京都・佃島―」のフリップから。

次いで「お知らせ 佃島渡し船は本日午后三時に廃止(1964年8月27日)しました」と、東京都中央区役所設置の立て看板が映し出される。東京オリンピックが開催される少し前に佃の渡しは廃止となり、渡し船最終便の映像となる。多くの人が見守るなか、満員となった渡船が佃島の桟橋を離れた。

ナレーターの青木一雄は、最後に「隅田川の汚さ」を強調する。昭和30年代中ごろは「隅田川のBODが40mg/Lにも達し、魚も住めない状態」と解説。当時の新聞は悪臭が甚だしい隅田川を取り上げた。昭和50年代中ごろ、漁船で東京の川をはじめて巡った。その時体験したひどい悪臭の記憶が映像を見てよみがえる。現在、東京の川の水質は随分と改善され、多くの人たちは魚が棲める東京の川で小さな船旅を楽しむ。

次回の41回からは、「江戸東京の古道と坂道」の話をしていきたい。

【シリーズ】ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり
①地方にとっての東京新名所
②『大正六年 東京見物』無声映画だからこその面白さ
銀座、日本橋、神田……映し出される賑わい
④第一次世界大戦と『東京見物』の映像変化
⑤外国人が撮影した関東大震災の東京風景

⑥震災直後の決死の映像が伝える東京の姿
関東大震災から6年、復興する東京
⑧昭和初期の東京の風景と戦争への足音
⑨高度成長期の東京、オリンピックへ向けて
⑩東京の新たな街づくり、近代化への歩み

【シリーズ】「ブラタモリ的」東京街歩き

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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