都会と田舎はどう違う? 住まいのプライバシー感覚と心地よい暮らしのつくり方(4/4ページ)
馬場未織
2017/08/10
<例3>住まいのなかにパブリックゾーンをつくる
荏田北の家(設計・ブルースタジオ 写真提供・リビタ)
最近、「住み開き」という言葉がよく聞かれます。
自宅の一部を地域に開放するなどして、友人知人のみならず、見ず知らずの人にも使ってもらえるようにする、という試みです。
「住み開き」のあり方はいろいろあります。
自宅の庭やリビングを、子育て支援の場所として毎日開放している家。
趣味の碁をみんなでしたいと、居間を碁会所として開放している家。
リビングを月1回開放して独居の高齢者が集う場所としている家。
庭やリビングを利用者とともに整備し、空間も体験も地域でシェアしていく家。
自分の家は自分の領域、という一般的な概念を崩して、「一緒に使える部分があったら、みんなも楽しいだろうけどわたしも楽しい」と考えて、住み開いていく。世田谷区では、そうした家を「地域共生のいえ」として支援しているようです。
また、先日訪れたとある郊外の一戸建て住宅は、40段あまりの長い階段のあるアプローチ部分や庭先が、街に開かれるようにデザインされていました。もちろん敷地内ですが、階段の途中にちょっと座って休めるような設えがあったり、門の位置がだいぶ奥まったところに設定されていたりして、主体的に公開空地をつくっているように見えました。
荏田北の家(設計・ブルースタジオ 写真提供・リビタ)
このように、境界をぐっと手前に引き寄せてパブリック部分をつくる住まい方は、街に対して「提供してやっている」というより、「むしろそのほうが住み手がハッピーになる」という考えによるものです。
個のエリアを押し広げる、縄張りを広げる、という感覚とは真逆ですね。
いまよりも住まいを少し開くことで見える可能性とは?
いかがでしょうか。
住まいには、“安全を守る”“資産を守る”といったシェルターの役割とともに、“快適性を守る”という役割があります。この解釈は個々さまざまで、ひょっとしたら家族のなかでも、その感覚にも違いがあるかもしれません。
「閉じているほうが快適だ」という感性も尊重されるべきである、と、ここであえて言っておきたいと思います。
ただ、空間のプライバシーについて考えるとき、同時に、そのエリアの境界や、その先にあるパブリック空間についても思いを馳せるのは、存外に面白いことです。
また、「わたしの家」と境界の内側を守る意識から、ふと「わたしの家のある街」というように“境界の内と外”を同時に意識し始めると、自分の境界感覚も少しずつ変化していくかもしれません。
いまよりも住まいを少し開くことで、人が喜ぶ姿が見られて嬉しくなったり、日々に張り合いができたり、むしろ囲み切るより安全になったり。そうして個々が可能性を探っていく先には、どんな街の未来があるでしょう。
都市にありながら、田舎の小さな集落のように親密なコミュニティができたり、それでもプライバシーは塩梅よく守られていたり、よその人さえも楽しくなるような街ができていたとしたら、それは上から考えた「街づくり」のおかげではなくて、一人ひとりの「住まいづくり」の集積によるものなんだろうと思います。
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この記事を書いた人
NPO法人南房総リパブリック理事長
1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。