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田舎の集落は小さいほど居心地がいい!?

田舎暮らしの人間関係、温かくて心地いい? それともめんどくさい?(4/5ページ)

馬場未織馬場未織

2017/05/18

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田舎の窮屈さの背景には何がある?

しかし最近、これまでの「田舎のつながりは、めんどくさいけど温かい。いいところと悪いところは表裏一体」というわたしの理解は、必ずしも当たらないかもしれない、とも思い始めています。

というのも、【1】の態度を引き出すことになっているコミュニテイが目指すものと、【2】の態度を引き出しているコミュニティが守ろうとしているものが、それぞれ方向性の違うものだからです。

【2】のようなネガティブなつながりは、プライバシーを侵すほど他者に干渉し、コミュニティの価値観を強要することに原因があります。個々がバラバラに自由に動いてしまったらコミュニティの運営に支障が出るからでしょう。

都市が自由だと言われるのは、コミュニティの運営が、そもそもほとんどないからです。

「みんなで力を合わせて生きていこう」という暮らしには統治が必要ですから、「みんなから外れてはいけない」→「目立つは悪」→「個性を出せない、息苦しい」に直結しやすいと言えます。

いつの間にか、「支え合う」が「ひとりで立つな」にすり替わる不思議。集団の統治が個人の自由より優先されることで、「まとまりとして生き延びる」歴史が積み重ねられたのではないかと思います。どちらかというと、草食動物的ですよね。

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実は、小さなコミュニティのほうが居心地がいい!?

一方で、【1】のようなポジティブなつながりは、本当にたまたまできるものなんでしょうか?

わたしがなぜ、【1】に属すことができたか、考えてみました。

ひとつは、コミュニティの「居心地」と「規模」について。

うちの集落は、ほぼ限界集落といっても過言ではない規模です。これは、内部で徒党を組んだり村八分にしたり、と勢力分布ができるほど規模がないとも言えます。構成員の人数がようやく2桁、といった規模ですから。

こうなると、ひとりひとりの顔が見えるどころか、どの人もとても大事な存在となってきます。人数だけ見れば、もちろん集落にとっては存亡の危機を感じる状況なのですが、「居心地」と「規模」は大いに関係性があると確信しています(もう少し多くてもいいですけどね。笑)。

ちょっと話がずれますが、学校のクラスが40~50人なのと、20~30人なのとでは、日常のクオリティが違ってきます。少人数だとひとりひとりに役割や立場ができ、自分が必要とされている実感から自己肯定感も育ちやすいとのこと。いじめもほとんど起きません。

また、多様性のある社会というのは自然発生的にできるものではない、と考えます。違いのある個人同士が「近くで」付き合ってこそ、理解が進み、共感が生まれ、それぞれを認め合うことができるものです。

とても小規模なコミュニティこそ、多様性のある社会をつくるのにふさわしいのではないかと、最近は強く感じています。

次ページ ▶︎ | 小さな小さなコミュニティは「自立した個人のつながり」を生む

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この記事を書いた人

NPO法人南房総リパブリック理事長

1973年、東京都生まれ。1996年、日本女子大学卒業、1998年、同大学大学院修了後、千葉学建築計画事務所勤務を経て建築ライターへ。2014年、株式会社ウィードシード設立。 プライベートでは2007年より家族5人とネコ2匹、その他その時に飼う生きものを連れて「平日は東京で暮らし、週末は千葉県南房総市の里山で暮らす」という二地域居住を実践。東京と南房総を通算約250往復以上する暮らしのなかで、里山での子育てや里山環境の保全・活用、都市農村交流などを考えるようになり、2011年に農家や建築家、教育関係者、造園家、ウェブデザイナー、市役所公務員らと共に任意団体「南房総リパブリック」を設立し、2012年に法人化。現在はNPO法人南房総リパブリック理事長を務める。 メンバーと共に、親と子が一緒になって里山で自然体験学習をする「里山学校」、里山環境でヒト・コト・モノをつなげる拠点「三芳つくるハウス」の運営、南房総市の空き家調査などを手掛ける。 著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

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