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牧野知弘の「どうなる!? おらが日本]#3 バブル崩壊後の不動産と今後(4/6ページ)

牧野 知弘牧野 知弘

2018/04/20

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郊外から都心回帰へ

不動産をとりまく日本社会の構造も1995年(平成7年)を境に大きな変化を始めた。それまでずっと増加し続けた日本の人口は、総人口こそ増加基調は保っていたものの、15歳から64歳の生産年齢人口と呼ばれる働き手の人口に関してはこの年をピークに減少に転じる。1ドル80円という超円高を嫌気した東京や大阪の湾岸地帯にあった工場群の多くは、アジアにその生産拠点を移し始めていく。

こうした動きに呼応するかのように1995年には大都市法が改正され、それまで容積率がおおむね200%程度だった工業地域が軒並み600%程度にまで引きあげられ、宅地への転換が後押しされたのである。湾岸部の工場や倉庫の跡地は敷地面積も広く、大手デベロッパーなどがこの土地上に超高層マンション(タワマン)を建設するようになる。土地の価格は大きく下落していたので比較的リーズナブルな価格で土地を取得でき、大量の住戸を低廉な価格で提供できるようになったのだ。これまで郊外へ郊外へとスプロール化していた住宅供給の方向性がこの時期以降大きく転換していくのである。

人々のライフスタイルも一変する。1997年には男女雇用機会均等法の改正が行われた。改正の目玉は、それまで認められてこなかった女性の深夜残業や休日勤務に対する制限が撤廃され、女性も男性と同様に働くことが許されるようになったのだ。

景気の低迷やデフレ経済の進展を背景に、家計も夫一人が支える構造から夫婦共働きがあたりまえとなる。専業主婦世帯と共働き世帯の世帯数が逆転するのも1995年前後のことである。

ダブルインカムとなった共働き世帯は、都心のタワマンに住み、子供を保育所に預けて働く、このスタイルを続けるにはもはや郊外の住宅などには目もくれなくなった。ましてや親が必死の想いで購入した郊外戸建て住宅に同居や相続をして、1時間以上の通勤をするライフスタイルは、家族という枠組みが変化する中で、彼らの選択肢には到底なりえなくなる。こうして都心居住は、マーケット事情、各種政策、そしてライフスタイルの変化を伴って大いに変容していくのだ。

都心回帰の現象は郊外住宅地の不動産価値を減じさせることとなる。かつては憧れの的だった西鎌倉や片瀬山、あるいは逗子といった高級住宅地の価格は大幅に下落、IT長者などと呼ばれる若き成功者たちは便利な都心部の豪華共用施設が整ったタワマンを生活拠点に選ぶこととなる。

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この記事を書いた人

株式会社オフィス・牧野、オラガ総研株式会社 代表取締役

1983年東京大学経済学部卒業。第一勧業銀行(現みずほ銀行)、ボストンコンサルティンググループを経て1989年三井不動産入社。数多くの不動産買収、開発、証券化業務を手がけたのち、三井不動産ホテルマネジメントに出向し経営企画、新規開発業務に従事する。2006年日本コマーシャル投資法人執行役員に就任しJ-REIT市場に上場。2009年オフィス・牧野設立、2015年オラガ総研設立、代表取締役に就任。著書に『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』『空き家問題 ――1000万戸の衝撃』『インバウンドの衝撃』『民泊ビジネス』(いずれも祥伝社新書)、『実家の「空き家問題」をズバリ解決する本』(PHP研究所)、『2040年全ビジネスモデル消滅』(文春新書)、『マイホーム価値革命』(NHK出版新書)『街間格差』(中公新書ラクレ)等がある。テレビ、新聞等メディアに多数出演。

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