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牧野知弘の「どうなる!? おらが日本]#3 バブル崩壊後の不動産と今後(3/6ページ)

牧野 知弘牧野 知弘

2018/04/20

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「ジャパンアズナンバーワン」の綻び

1995年(平成7年)には巨額の農協マネーをバックに不動産融資を続けていた住専(住宅金融専門会社)が破綻、都市銀行の一角だった北海道拓殖銀行も北海道内での不動産融資案件の失敗を引き金に倒産したことは、大手証券の山一証券の倒産とともに大きな話題となった。

地価は政府や日銀の目論見通りに沈静するどころか急落を続け、「ジャパンアズナンバーワン」などと言っていた日本経済全体に暗雲が垂れ込める事態へと発展する。

ところで、この地価の崩落が、不動産業や人々の住宅に対する考え方を大転換させるきっかけを作ったことは、あまり知られていない。実は1995年から1997年(平成9年)の3年間は日本の不動産に大転換をもたらした時期といえるのだ。

日本の地価が大きく下がったことは、それまで不動産に多額の資金を注ぎ込んできた銀行をはじめとする金融機関に大量の不良債権を生み出した。銀行はこの不良債権に苦しみ瀕死の状態にあった。しかし、世の中には屍があればその屍に群がりこれを処理する存在が必ず出現する。

ハゲタカ投資ファンドの登場

外資系の投資ファンドは、日本の不動産を担保とした不良債権に目を付け、これを信じられないほど低廉な価格で買い取るビジネスを展開する。彼らが買う価格はバブル時代の10分の1以下。それでも一刻も早く不良債権を手放したい多くの金融機関が外資系ファンドにこの債権を売り渡した。ファンドはこれらの債権を切り刻んで証券化し、世界中のマーケットに売り飛ばす、不動産自体を再生させて付加価値をつけて売り飛ばす行為にでた。いわゆる「ハゲタカ」はテレビドラマにもなり世間の耳目を集めることとなる。

こうした動きは、不動産と金融の融合と呼ばれる不動産証券化ビジネスの隆盛へと展開していくことになる。

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この記事を書いた人

株式会社オフィス・牧野、オラガ総研株式会社 代表取締役

1983年東京大学経済学部卒業。第一勧業銀行(現みずほ銀行)、ボストンコンサルティンググループを経て1989年三井不動産入社。数多くの不動産買収、開発、証券化業務を手がけたのち、三井不動産ホテルマネジメントに出向し経営企画、新規開発業務に従事する。2006年日本コマーシャル投資法人執行役員に就任しJ-REIT市場に上場。2009年オフィス・牧野設立、2015年オラガ総研設立、代表取締役に就任。著書に『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』『空き家問題 ――1000万戸の衝撃』『インバウンドの衝撃』『民泊ビジネス』(いずれも祥伝社新書)、『実家の「空き家問題」をズバリ解決する本』(PHP研究所)、『2040年全ビジネスモデル消滅』(文春新書)、『マイホーム価値革命』(NHK出版新書)『街間格差』(中公新書ラクレ)等がある。テレビ、新聞等メディアに多数出演。

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