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牧野知弘の「どうなる!? おらが日本」#8 湾岸・山の手どちらの不動産を選べばよいか(2/5ページ)

牧野 知弘牧野 知弘

2019/03/26

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高級住宅地の 代名詞「山の手」

脚光を浴びる湾岸エリアに対して、東京には古来、山の手と呼ばれる住宅街がある。昔から高級住宅街の代名詞といえば、山の手だ。

東京は江戸城であった皇居を取り囲むように高級な街並みが形成されている。もともと徳川家康が江戸に城を構えたころ、江戸城の東側は海だった。城の西には武蔵野台地と呼ぶ高台が形成され、徳川家の重臣や旗本たちが、台地の東端、現在の四谷、番町、麹町エリアに屋敷を構えていた。江戸幕府は諸藩の大名に対して江戸城下に屋敷を構えさせ、妻や子供を人質にとった。江戸城に近接させることはできないので、多くの大名は江戸城から少し離れた高輪や麻布、六本木あるいは本郷近辺の高台に屋敷を構えた。今でいう島津山、池田山、仙台坂、本郷の東大赤門は旧前田家の屋敷にあったものだ。

幕末、幕府を倒して江戸に入った薩摩長州の武士たちは徳川幕府の重臣や旗本の屋敷を接収して住むようになった。やがて外様大名の住んでいた屋敷跡に新興の財閥や文化人がこぞって住むようになった。

そういった意味で、東京の山の手エリアは江戸時代の武家屋敷の絵図から発展してきた古来の「良い土地」であることの証ともいえるのだ。

その後、昭和から現代にいたるまで東京は人口が爆発的に増加したために鉄道会社が都心部から郊外へとレールを延ばし、その先に鉄道会社が開発した新しい住宅地ができた。成城学園や田園調布といった住宅地だ。その意味では東京の山の手ブランド住宅地は、江戸時代の番町、麹町をさきがけに、本郷や高輪、麻布、そして鉄道会社によって開発された成城学園、田園調布といった、おおむね3つのグループに分類できる。

当たり前だが、よい土地は人気がある。人気が高いということは値段も高いということだ。ところがこれらの土地は、必ずしも交通便が良いところばかりではない。どちらかといえば駅などは下町側に多く、山の手高級住宅街は駅から少し離れているケースが多いようだ。

都内で、古くからの山の手住宅地の代表格である番町、麹町や麻布といった街は、地下鉄が通るまでは、都心部の中でもむしろアクセスの良くない場所だった。

住宅を選ぶ際に、何に優先順位を置くかは時代によって異なってくるが、これまでの歴史を振り返るならば、不動産としての価値という側面からは山の手は一つの安心ブランドと言える。

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この記事を書いた人

株式会社オフィス・牧野、オラガ総研株式会社 代表取締役

1983年東京大学経済学部卒業。第一勧業銀行(現みずほ銀行)、ボストンコンサルティンググループを経て1989年三井不動産入社。数多くの不動産買収、開発、証券化業務を手がけたのち、三井不動産ホテルマネジメントに出向し経営企画、新規開発業務に従事する。2006年日本コマーシャル投資法人執行役員に就任しJ-REIT市場に上場。2009年オフィス・牧野設立、2015年オラガ総研設立、代表取締役に就任。著書に『なぜ、町の不動産屋はつぶれないのか』『空き家問題 ――1000万戸の衝撃』『インバウンドの衝撃』『民泊ビジネス』(いずれも祥伝社新書)、『実家の「空き家問題」をズバリ解決する本』(PHP研究所)、『2040年全ビジネスモデル消滅』(文春新書)、『マイホーム価値革命』(NHK出版新書)『街間格差』(中公新書ラクレ)等がある。テレビ、新聞等メディアに多数出演。

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