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まちと住まいの空間 第35回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑥――震災直後の決死の映像が伝える東京の姿(『関東大震災実況』より)(3/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/04/19

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地震火災後の被災地の映像――神田・万世橋~日本橋浜町~本所と隅田川船上

ここからの映像は、火がおさまり、見渡す限りの瓦礫となった光景となる。

まず、焼失後の万世橋駅とその周辺の映像からはじまる。フィルムの色がオレンジ系から、少しセピアがかった一般のフィルムの色に戻る。


絵葉書/関東大震災で焼失した万世橋駅付近

被災した万世橋駅は神田エリアにとって中心的な存在であり、この当時は名所だった。駅を背景に、被災風景のなかを往来する多くの人たちがさまざまなポイントから映されていく。

次に登場する映像は掘割沿いの巨大な建物の残骸である。突然切り替わった映像でもあり、はじめは万世橋駅から下流へ行った神田川沿いの光景と思い込む。それにしては掘割の幅が狭すぎ、これほど大規模な建物も神田川沿いでは見当たらない。

撮影隊は、万世橋駅を後にして、絵葉書にも登場するよく知られた建物を目指したようだ。それが浜町川沿いの明治座だった。被災する前の絵葉書と見比べると建物が合致する。現在の明治座は清洲橋通り沿いの東側にある。だが、関東大震災前の建物は道路を挟み浜町川に面して建てられていた。


絵葉書/被災した明治座と浜町川

映画では、浜町の住人が「水戸へ行く」と伝言を壁に書き残したシーンがあり、これからも場所の近さで符合する。

この後、両国橋(1904年開通)に映像が切り替わる。

橋の両脇に張り出すように付随していた歩道は床が抜けただけで、車道部分は損傷が少なかった。両国橋は東京の名所として知られ、震災直後も無事に渡れる橋だったため、多くの人たちが往来する。伝言用の郵便受けも置かれていた。戒厳令が発動されており、橋詰広場では軍隊の一団が休憩する姿も映る。

両国橋はそのまま修復して利用することも可能だったが、永代橋、吾妻橋など隅田川に架かっていた痛みの激しい橋の架け替えとともに、新しい橋として昭和7(1932)年に生まれ変わった。橋の一部は再利用され、現在も東京都中央区新川二丁目と湊一丁目をつなぐ「南高橋」として亀島川河口に架かり続け、旧両国橋の姿を今に伝えている。

両国橋を渡り、両国駅へ行くあたりから、フィルムがブルー系の色に変わる。編集のとき、本所の悲惨さを表現したかったのだろうか。両国駅一帯は熱風が吹き荒れたように、駅舎の形跡が全くない。

「最も悲惨なる 本所深川惨状」とフリップが入り、隅田川に浮かぶ船から残骸となった本所方面の河岸の映像が流れる。


絵葉書/河岸から見た本所方面の瓦礫と化した光景

地上からの映像に切り変わり、そこには隅田川河岸にある安田財閥の被災した邸内がじっくりと撮影されている。映像には建物の外壁だけが残り、豪奢な邸宅の様子がかろうじて想像できる。面影が完全に失せた庭園だが、不思議と石の灯籠、白さの際立つ像が何事もなかったかのようにカメラにおさまっているのが印象的だ。

安田邸近く、陸軍被服廠跡地へと撮影隊は向かう。

「本所横綱町 陸軍被服廠跡の惨死骸(死者三万二千七百六十五人餘)」のフリップ。遺体が山と積まれた光景となる。あまりに悲惨な状況を無言の映像が撮り続ける。これから荼毘にふされるのだろう。9月のまだ暑い日が続くなかで、強烈な腐臭も放たれていたはずである。

そこからは再び船上からのシーン。

「吾妻橋」のフリップが出され、船は吾妻橋に近づいて行く。遠目から被害が少ないように見えた吾妻橋だが、船が橋に近づくにつれ、被害の大きさが分かってくる。陸からの通行が難しい吾妻橋は、船の運行を可能にするために中央部分に応急措置がなされていた。


絵葉書/損傷が激しい吾妻橋

被災した東京にあって船がいかに重要な存在だったかを再確認する。映画は、船上から吾妻橋近くのビール工場(現・墨田区役所/アサヒビール本社/リバートピア吾妻橋)を中心に壊滅した市街をパノラマで映す。瓦礫と化した風景が広がる。その時、突如映像が途切れ、エンディングがないままフィルムは終わってしまう。

【シリーズ】ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり
①地方にとっての東京新名所
②『大正六年 東京見物』無声映画だからこその面白さ
銀座、日本橋、神田……映し出される賑わい
④第一次世界大戦と『東京見物』の映像変化
⑤外国人が撮影した関東大震災の東京風景

【シリーズ】「ブラタモリ的」東京街歩き

 

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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