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まちと住まいの空間 第33回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり④――第一次世界大戦と『東京見物』の映像変化(3/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/02/19

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軍と省庁の意地の張り合いが読み取れる霞が関と銅像の映像

次に、丸の内から霞が関へとシーンが移る。その最初が3番目のフリップ「日曜日の日比谷公園」である。

当時日比谷公園内の注目施設といえば、池に設けられた鶴の噴水。


絵葉書/日比谷公園内、鶴の噴水

名所絵葉書にも頻繁に登場する。鶴の噴水は明治38(1905)年に製作され、長崎の諏訪神社境内、大阪の箕面公園内に次いで3番目の古さを誇る。鶴の口から吹き上げるダイナミックな水の造形とともに、四季折々に表情を変える池周辺の光景とが絶妙にマッチし、人気のスポットであり続けた。

その後、新たに政治・軍事の中枢である霞が関の建物が原型の映像に加わる。その中心に文字のフリップで紹介された明治27年竣工の「海軍省」(5番目)と明治28年竣工の「司法省(現・法務省)」(4番目)。現在の桜田通り東側は、外桜田御門(桜田門)から、司法省、大審院、海軍省と、威風堂々とした煉瓦建築が並ぶ官庁街の中心であった。


絵葉書/煉瓦の官庁建築が並ぶ街並み

いずれの施設も文字だけのフリップである。「司法省 大審院 東京控訴院 東京地方裁判所」(4番目)は「司法省」の文字だけが大きく強調された。「海軍省」(5番目)はサブの説明文がある。「太平洋の河岸を通信し得られる・東洋第一の無線電信柱」と。「無線塔」ではなく「無線電信柱」と記してある。現在の習志野に、東洋一の無線塔が大正4(1915)年に完成していた。東洋一の無線塔との関係で描きたかったのか、映像は「無線電信柱」と呼ばれる鉄塔が必要以上に映され続ける。


写真/海軍省と鉄塔、『日本地理大系 大東京篇』(改造社、昭和5年)より

こうしてフリップの有無と登場する映像を観ていくと、まず文字のあるフリップの映像が最初に挿入されたと考えられる。そうなると、その映像を観た他の省庁からのクレームは必至だったのではないか。

そして9番目の「東宮御所」までの映像には、帳尻を合わせ、省庁間のバランスを取るように各省庁の映像が新たに加えられ、その結果、『大正六年 東京見物』全体の流れを見えにくいものにした。

ここに来て、銅像もオンパレード。海軍省の前には仁礼景範中将(1831〜1900)、西郷従道元帥(1842〜1902)、川村純義大将(1836〜1904)の銅像が並ぶ。これに対し、陸軍からは6番目の「川村大将銅像」(川村景明、1850〜1926)と7番目の「三宅坂 寺内元帥銅像」(寺内正毅、1852〜1919)が追加された。原型の映像をイメージしながら観ると、かなり唐突な挿入に感じられる。海軍軍人の銅像ばかりで、陸軍軍人がいないと、陸軍省からのクレームがあったのだろうか。

さらに、外務省、貴族院、衆議院、参謀本部の建物など霞が関官庁街の施設が次々と加わる。フリップの文字はない。大正期の絵葉書では、参謀本部と有栖川宮銅像がセットになり、欠かせない風景の一つとなっていた。


絵葉書/参謀本部と有栖川宮銅像

海軍省、司法省に比べ、フリップがないが、じっくりと撮影されている。明治維新の功労者有栖川宮を出すことで、省庁間の力関係でだらだらと延びる官庁街のフィルムに楔(くさび)を入れ、一件落着を図ったとも考えられる。

珍しい動物に向けられた当時の子供たちの眼差し

「上野公園」では2つの異なる時代の施設がフリップなしで新たに挿入されている。

一つは、江戸時代の「上野東照宮」と「五重塔」。比叡山延暦寺を凌ぐ天台宗筆頭となる江戸時代の寛永寺は、上野戦争を経て多くの建物が焼失し、寛永寺自体も上野の山の片隅に追いやられた。「上野東照宮」と「五重塔」は江戸時代から残る建物として映像化される。後付けで挿入されたこれらのシーンには、明らかに仕込まれた登場人物が映る。「日比谷公園」「靖国神社」の場面にも出てきた。関東大震災以降、案内役を映画のストーリーに加える先駆けといえるが、まだ映像に馴染まず、ぎこちなさがある。

いま一つとして「上野動物園」が新たな施設として加わる。『大正六年 東京見物』での順路は、上野東照宮、五重塔を見た後上野動物園に向かう流れとなる。実際に上野公園を訪れた時、同様のルートで歩け、違和感がない。ただし、全体配分のバランスを大いに欠くほど、動物たちが長い時間映る。

上野動物園の開園は明治15年と古く、明治40(1907)年には入場者が100万人を超えた。全国を巡回する映画は、視聴者として子供たちの存在が視野にあった。個人的には、動物の映像が長すぎて大いに閉口したが、子供たちを引きつける意図があれば、それもいた仕方ない。子供たちは新たに加わる動物たちの登場に固唾をのんで観ていたのだろう。上野公園で特に長い「数々の動物たち」のシーンは、上野動物園に珍しい動物が新しく来園した時に映像化され、地方を巡回するなかでフィルムが長くなったと考えられる。

【シリーズ】ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり
①地方にとっての東京新名所
②『大正六年 東京見物』無声映画だからこその面白さ
銀座、日本橋、神田……映し出される賑わい
⑤外国人が撮影した関東大震災の東京風景(『関東大震災』より)

【シリーズ】「ブラタモリ的」東京街歩き

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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