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『ブラタモリ』白金編1

「伝説」を考えさせられた時空の亀裂と「伝説」(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/11/01

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写真3、ジャヤナギの木

奇跡的に現代まで残り続けた土塁だが、その館の主は「白金長者」がいたという伝説だけで誰なのか皆目わからない。戦乱のなかで、現在のところ歴史から消えている存在だ。「しろかね」を「白金」と漢字をあてた当時の人たちも、現代の私たちと同様な状況にあったと思われる。大層な豪族がいて、立派な土塁を残して消えてしまったという程度だったのだろう。その時、室町時代は「銀」を「しろかね(白金)」といい、土塁を築いた豪族もきっと銀をたんまりと蓄えていたはずだとの仮設が膨らむ。

都合のよい解釈だが、それではと「我が村は白金と漢字で書くことにしよう」ということになった。「白金長者」の伝説がつくられた時期は、江戸時代に入ってからで、その伝説のはじまりはいつの間にか室町時代まで遡ってしまった。私も番組で御先棒を担ぐことになってしまった。

「シロガネ」の新伝説

タモリさんの主張は、「しろかね」が「全国に見られる城(館)の近くを意味する」ことで、「銀=白金」ではないというものであった。タモリさんと林田アナウンサーは、終始、銀をたんまり溜め込んでいると公言すれば、泥棒に狙われるという会話が続く。「白金長者」と後世に呼ばれた豪族が室町時代にきれいに存在を歴史から消してしまう事件は何だったのか。泥棒に狙われるよりは、政治的に歴史から抹殺されたとする流れがしっくりする。これは今後の課題として残る。

では、当初どのような意味で「しろかね」とつけたのか。「しろかね」という言葉がいつから付けられたかは不明としても、タモリさんの主張に軍配が上がるように思われる。ただ、番組では、タモリさんの発言部分はカットされ、その代わりに「その話納得せず!」と書かれたフリップがタモリさんの顔の横に映し出され、その場面は終了。製作スタッフも、タモリさんの言葉をどう組み込むか苦慮したと思われる。その結果だろう。用は、テレビ的でないとの判断とテレビ的な対応というのだろうか。

むしろ、後世に「白金長者伝説」をつくりあげ、本来の「しろかね」の意味を別の意味にすり替えたこの伝説の存在が重要である。テレビ本編のタイトルは「白金はなぜシロガネーゼの街になった?」である。ここにもう一つの新たな伝説が加わるからだ。地元の人は間違うことはないが、現在は、「白金」を「しろかね」と読まず、「しろがね」と読む人が多い。「ブラタモリ白金」もそこからスタートする。

1990年代、ファッション雑誌が「シロガネーゼ」の言葉を流行らせた。

「イタリアファッションに身を包む白金に住む30代の若い主婦」層を象徴的に登場させ、イタリア・ミラノの「ミラノッコ」を呼ぶ「ミラネーゼ」にもじり、「シロガネーゼ」の造語を流行らせる。「白金(しろかね)」という土地をよくしらなくても、「シロガネ」は多くの人の記憶にインプットされた。「白金(しろかね)」ははるか昔から「白金(しろがね)」であったかのように、時代を遡った時点からの新伝説が現代に定着する。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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