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『ブラタモリ』白金編1

「伝説」を考えさせられた時空の亀裂と「伝説」(2/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/11/01

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「白金長者」の伝説


図2、室町時代、江戸時代、明治時代の国立自然教育園の前身

白金編では、「白金長者」の話になった時、興味深いシーンがあった。テレビ的でないタモリさんの顔がのぞいた。私は前打ち合わせで「曖昧な白金長者の話から町名の白金に結びつける流れは止めた方がいい」と何度もディレクターに言い続けた。だが、その話がないと番組にならないと、どうしても引かなかった。そのために、仕方なく冒頭に書いた「伝説」の話へと展開したい。

確かに、白金の地に膨大な財力を誇る豪族が室町時代に存在したことは確かだ。それは、自然教育園内に今もその豪族が築いたとされる土塁が残ることでわかる。それも半端な規模ではない(図2)。


写真1、土塁の説明板

おし寄せてきた時、豊富な湧水を土塁の外に吐き出す地中に設けられた水路を止めれば、広大な水面が館の周りを水没させて守りを固める仕組みも設けられていた(写真1)。しかしながら、これだけの土塁を築いた豪族が誰なのか。現段階では判明していない。出る釘は討たれる立ち位置にいたのかもしれない。謎が多いだけに、後付けの伝説はつくりやすい。


写真2、江戸時代庭園の池だったと思われるひょうたん池

何万坪もある自然教育園の敷地内に残る貴重な土塁の遺構は、江戸時代になると高松藩松平讃岐守の広大な下屋敷となる。だが、屋敷全体を庭園にするには広すぎた。せいぜい屋敷周り近くの一部、ひょうたん池周辺を回遊式庭園にしたくらいで、あとは自然のままにしておいたと思われる(写真2)。

近代に入ると、明治初期に軍の弾薬庫となる。弾薬庫は、大規模な施設を必要としない。しかも、弾薬が爆発した時を考慮し、分散させ、弾薬庫の周りを強固な塀で囲った。室町時代に築かれた土塁は、爆発時の被害を食い止める格好のものだったようで手つかずのままだった。その後、広大な土地は大正6(1917)年に御領地、昭和24(1949)年に文部省の管轄となり国の天然記念物となる。広大な自然とともに土塁も残り続けた。強固な塀はもうないが、弾薬をつくる炭として使われたジャヤナギの木が自然教育園に今すくすくと成長し続けていた(写真3)。自然のままに維持されてきた環境が語りべとなる。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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