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まちと住まいの空間 第36回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑦ ――関東大震災から6年、復興する東京(『復興帝都シンフォニー』より)(4/5ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/05/18

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学校、住宅、病院、市場、デパート…生活の復興

三つ目は「生活の復興」。学校、住宅、託児所、病院、市場、デパートなど、多彩な施設が取り上げられるが、特定した場所をクローズアップさせてはいない。さまざまな施設をオムニバスのかたちでちりばめ、多様な復興がなされたイメージ効果を狙う。

学校施設のうち、復興した小学校は117校あった。市街が密集して広い敷地を得られないため、公園とセットに小学校が整備された。校舎もそれぞれに工夫を凝らし、斬新なデザインで復興する。

「住」に目を向けると、復興事業として立ち上げられた同潤会は、鉄筋コンクリートによって不燃化され、住宅内には、電気・ガス・水道はもちろん、ダストシュートや水洗式便所といった近代的な設備を整えた。

同潤会建築部長(1924〜28)には、三菱地所の川元良一が就任。近代生活の新しい住まい方を提示し、三菱地所で培った建築技術や衛生の知識を遺憾なく建築に反映させ、最先端の居住環境を創出させた。

このため都市生活者の利便のために用意された居住空間は人気があった。映画には表参道沿いにある渋谷同潤会アパートメント(青山同潤会アパートメント、1926・27年、現・表参道ヒルズ)に住むサラリーマンの出勤風景が映像として収められ、この新しいライフスタイルに憧れ、エンジョイする人たちも多く映し出されている。

同潤会の試みは単に新しい生活様式の提案だけにとどまらず、スラム地区対策(不良住宅改良事業)としてアパートを1カ所建設した。不良住宅改良事業は東京市が中心となって進められたが、同潤会も猿江裏町共同住宅(住利共同住宅、1期1927年、2期1930年、現・ツインタワーすみとし)で具体化する。


写真/同潤会猿江裏町共同住宅、『日本地理大系 大東京篇』(改造社、1930年)

映像には、最新式のアパートとして設計された敷地内には粗末な小屋の駄菓子屋があったりする。かつての下町の雰囲気が近代的な空間にいつの間にか同居していた。こちらは、窮屈に暮らさない旧来からの日常がのぞく。

東京が復興し、人々が生活を取り戻していく消費の象徴にデパートがあった。

銀座の松坂屋は大正13(1924)年、松屋は大正14年。日本橋の三越は関東大震災で焼失後の昭和2(1927)年に再建した。さらには昭和3年(第1期)、新宿の三越は昭和4(1929)年と、復興する東京に続々とデパートが開店。また、上野の松坂屋はこの映画が製作された年、昭和4年に竣工した。

映像でも旬なデパートをカメラのレンズがとらえる。なかでもこの屋上に立ち、焦土から復興する、平坦地がどこまでも広がる下町のパノラマ映像は圧巻で、フィルムも長めに撮られた。そこに収められた当時の東京は、ほんの一部の高層化した建物以外、低層木造の市街が拡大する風景の都市だった。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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