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まちと住まいの空間 第36回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑦ ――関東大震災から6年、復興する東京(『復興帝都シンフォニー』より)(3/5ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/05/18

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整いはじめる近代都市のインフラ

二つ目は、鉄道、道路、上下水道などの「都市のインフラ」である。交通系では鉄道が最優先で復旧したが、市電は遅れた。それに替わり、乗合バス、地下鉄が脚光を浴びる。

地下鉄は昭和2(1927)年に上野~浅草間で開通した。雷門地下鉄乗場を併設した近代的なビルが姿をあらわし、カメラも建物の夜景を新名所として映し出す。

しかしなんといっても、関東大震災後の交通系インフラでは船が最も活躍した。復興の功労者である船を讃えるように、映画はさまざまな船を随所で登場させる。船の行き交う川には、帝都復興の象徴として近代橋梁が新しく架設された。

その数は、東京市が312橋、復興局が113橋と、全体で425もの数にのぼる。しかも同じデザインが一つもない。当時の技術力の高さとともに、優れたデザイン能力が光る。

渓谷のような神田川を跨ぐ聖橋は、その高低差を配慮したデザインが絵になり、絵葉書にも数多く登場した。優れたデザインが目白押しの近代橋梁だが、カメラは清洲橋を船上と地上、さまざまな角度から美女のモデルを撮影するかのように造形の魅力に迫る。

道路は、既成市街地を貫き新たに誕生した昭和通りが目を引く。


絵葉書/完成した昭和通り

広幅員だが、植樹された中央分離帯が設けられ、道沿いにはモダンな街路に合わせるように近代建築が次々と建つ。昭和通りは、東京の復興を象徴する都市風景と映ったに違いない。自動車に搭載されたカメラは気持ちよさそうに新しい街並みを撮り続けた。

都市インフラの上下水道、ゴミ処理は、近代化する社会や庶民生活を根底で支えた。江戸時代、江戸はゴミゼロの都市といわれる。「ちり」や「ほこり」を除けば、現代人がゴミにしているほとんど全てがリサイクルされていたからだ。人の糞尿は近郊農家の肥料に、生ゴミも飼料となった。それが昭和初期には江戸時代の資源はゴミとなり、下水処理、塵芥処理されるようになる。三河島汚水処理場(1922年3月完成、日本初の下水処理場)や洲崎埋立地塵芥処分場などの映像に多くの時間がさかれる。これもまた、巨大都市化する近代東京の新しい風景といえよう。


写真/塵廃処理場、『建築の東京』(都市美協会、1935年)

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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