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まちと住まいの空間第16回【宮城県 江島 その3】

平安から平成――集落形成はどのように行われたのか(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/10/09

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原発建設が島に与えた影響 ――1983年と2011年の変化を見る――


図3、2015年時点の建物立地とその家の姓(1983年と2011年の比較)

江島の姓の表示がされる最も古い住宅地図帳は、現状見つけられた範囲で1983年版のものがある。この時期は、戦後の島外転出の切っ掛けとなった女川原子力発電所建設の補助金を受けての転出がはじまる頃の状況を示しており、江島の集落構造を知る上で貴重な地図といえる(図3)。

女川原子力発電所建設の補償協定の調印は、1号機建設の1979年、2号機建設の1986年であった。震災が起きる直前の2011年から遡ること28年前である。こ2つの時期を比較すると、1983年時点で105戸あった建物の数が2011年時点で13戸減少した。空家は6戸あったが、2011年の25戸に比べると遥かに少ない。

空家となった姓は、1877年から1958年に新しく登場した姓が5戸、1877年以前からの旧家系列の姓が5戸(木村姓1戸、中村姓2戸、佐藤姓1戸、橋本姓1戸)、切り開き系列の姓が3戸(小山姓2戸、阿部姓が1戸)である。漁業に見切りをつけ、保証金を元手に石巻や女川の都市へ転出した。転出した家のうち、古くから居住する姓が多いが、それらの家は契約講からすると末端の分家筋と思われる。

姓が変わった家も4戸あった。1877年以前からの旧家系列の姓が2戸、切り開き系列の姓が2戸は新たな姓に変わっている。分家は必ずしも血縁関係だけではなく、契約講で結ばれて非血縁だが分家となるケースも少なくない。契約講で結ばれるメリットがなくなり、旧来の姓に戻した可能性がある。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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