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まちと住まいの空間 第39回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑩ ――東京の新たな街づくり、近代化への歩み(『大東京祭 開都五百年記念』より)(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/08/27

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日本橋~銀座の洗練された店のディスプレー

東京都庁舎の第一会場、日本橋三越の第二会場のほか、2カ所の展覧会会場の様子が精力的に撮影された。

ひとつは銀座で開催された「錦絵に残る銀座の昔」展(主催:銀座通連合会、後援:東京都・中央区)である。
江戸時代に銀座の大店だった布袋屋(ほていや)や恵比寿屋を描いた絵が映された後、煉瓦街の街並みとなった明治初期の錦絵に画面が移る。「籠に変わって四頭立ての往来馬車、西欧文明が銀座を風靡」と近代に邁進する銀座をたたえ、「今の銀座」として銀座通りの俯瞰を撮る。


INAXビルからの銀座通り俯瞰(2004年撮影)

次に、晴海通りから皇居方面を地上から望む銀座四丁目交差点の映像へ。「大東京は車の数23万台、人口実に800万と発展したのです」と高橋圭三が大都市東京の現況を数字で付け加える。

さらに「かつて、最初のガス灯に目を見張った、その頃の銀座」と語り、2代目からくり儀右衛門が銀座二丁目にある大倉本館(現・Okura House)前で明治15(1882)年に試みた「アーク灯」点灯実験を描いた錦絵(「東京銀座通電気燈建設之図」重清画、1883年)を取り上げた。ただし、錦絵にある点灯シーンはガス灯ではない。映画を製作した人たちは「銀座煉瓦街」と「ガス灯」をどうしても結びつけたかったようだが、映画を見る限りちょっと強引な感じを与える。


Okura House〈大倉本館〉にはめ込まれた錦絵のプレート(2017年撮影)

「今では、まばゆいばかりのネオン、蛍光灯と、大きな時代の変遷を見せています」

とナレーションが入り、銀座の賑わいの話となる。しかし、映像はどういうわけか銀座ではなく、新宿三丁目付近の賑わう通りを映す。

65年前の洗練された銀座と、新興の繁華街である新宿との違いは歴然としていた。とはいえ、映画に映し出される店のディスプレーの違は大いに興味を引く。細かいことだが、ここは思いのほか映画の見所である。親に連れられ、新宿の街を歩くようになるのは、映画が製作されてから数年後のことだった。新宿の繁華街を抜けるときの猥雑な空気感は60年以上の歳月を経た今でもリアルによみがえる。

東京の未来を描いた新宿の展示会場

映画に映し出された東京の都市空間は、東京港と銀座が中心である。いずれも登場する時間が他を圧倒する。日本橋は三越が第二会場だったが、銀座のように街並みを映していない。

しかし、新宿の街の露出度は銀座に次いで多く、これは副都心構想に向けた伏線と思われる。ちなみに、現在超高層ビルが林立する新宿副都心(西新宿)は昭和35(1960)年に都市計画決定された。東京都庁舎の新宿移転は、映画から35年後の平成3(1991)年である。丹下健三が設計した丸の内の東京都庁舎は、わずか35年の寿命だった。その間に、東京の市街と都庁は巨大化した。

新宿の通りを俯瞰した後、カメラは子どもたちが未来の大東京を描いた展覧会会場へ。


新宿通り(手前が新宿駅)1952年、『東京この30年 変貌した首都の顔 1952〜1984』朝日新聞社、1984年より

場所は明らかにされていないが、先の映像に新宿の街並みが必要以上に映されており、新宿がいまひとつの会場と思われる。

「宇宙旅行も話題にのぼるこの時代にふさわしく、奇抜な東京の未来を描く子どもたちの絵には、今後、時代とともに変わり行く、東京の姿がうかがわれます」と高橋圭三が語りかける。

当時の日本では、手塚治虫の『鉄腕アトム』(1952年4月〜1968年)が21世紀の未来を舞台に、原子力エネルギーで動き、人間の感情を持った少年ロボット・アトムの活躍する物語が子どもたちの人気を集めた。

半世紀以上が過ぎた今、私たちはその21世紀に生きている。

SF小説で語られてきた「宇宙旅行」は、映画製作から5年後の昭和36(1961)年、ソビエト連邦(現・ロシア連邦)の飛行士・ガガーリン(1934〜68年)がボストーク1号に乗り、世界初の有人飛行に成功してリアリティを持つ。冷戦状態にあった米ソの熾烈な宇宙開発競争が背景にあったとしても、宇宙旅行、未来都市への関心が一般の人たちに強く意識されはじめていた。学校の先生たちも当時そうだったのではないか。私自身も小学生の時、未来都市の課題で絵を描かされた記憶がある。

敗戦から10年、人々の生活が安定し、まさに高度成長に入りつつあった時期に『大東京祭』が開催された。今では信じられない話だが、前年の昭和30(1955)年から昭和48(1973)年まで、経済成長率(実質)が年平均10%前後の高い水準で日本は成長し続ける。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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