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まちと住まいの空間 第37回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑧ ――昭和初期の東京の風景と戦争への足音(『東京の四季』より)(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/06/16

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第三台場から北北西の現代の都心部方面を見ると、レインボーブリッジ越しに芝浦と日の出の埠頭が望める。芝浦・日の出の両岸壁だけは、関東大震災直前に完成しており、復興に重要な役割を果たした。東京が復興するなか、切妻の屋根が連続する倉庫が日の出埠頭に出現した。時代も規模も異なるが、この風景を見るたびに広重が『名所江戸百景』の「鎧の渡し」で描いてみせた連続する切妻の蔵とだぶる。

日の出埠頭に立ち隅田川越しに東側を眺めると、明治期以降浚渫土で埋め立てた月島が見える。

この当時は月島遊泳場があり、東京湾の海で楽しげに泳ぐ子どもたちの姿をカメラがとらえた。昭和7(1932)年ころには隅田川沿いや江東地区に林立していた工場群から出される排水が影響し、水に親しむ環境が東京湾から失われつつあった。そのような時代、近代の新たな水に親しむ施設としてプールが登場する。

神宮プールは昭和5(1930)年に開設した(2002年閉鎖)。『東京の四季』では、月島で遊ぶ子どもも、神宮プールで泳ぐ子どもも、同じ時代の水の情景として撮られた。

プロローグの最後は中央気象台(旧東京気象台)である。大正12(1923)年1月、麹町区元衛町(現・千代田区一ツ橋)に移転してきた。まさにその年に関東大震災が起き、巨大な煙を背景に正午少し前で止まった時計を撮影した写真は、関東大震災(1923年9月1日)を語る貴重な光景として今も語り継がれる。地震に堪えた建物は時計も動きはじめ、残暑に起きた関東大震災の記憶とともにプロローグが締めくくられた。

「秋」は収穫にわく市場の賑わい、そして芸術とスポーツ

秋は、新鮮な野菜が東京卸売市場神田分場(1928年竣工)に運ばれ、所狭しと野菜や果物が山積みにされるシーンからはじまる。関東大震災で被災する東京會舘の画像が挿入され、関東大震災で多くの犠牲者を弔う震災記念堂(伊東忠太設計、1930年竣工)が映る。

美術の秋は、上野の東京府美術館(岡田信一郎設計、1926年竣工、現・東京都美術館)に時間を割く。ここでの展覧会の映像は力が入る。作品が搬入される様子、展示会場に山と積まれたなかから作品が選ばれ、展示光景に変化する流れを丹念に追う。明治神宮外苑の各種スポーツと明治節(11月3日)に行なわれる明治神宮大祭も秋を感じさせる。


絵葉書/上野の東京府美術館

そして、昭和6(1931)年8月25日に国際空港として正式開港した秋の東京飛行場(現・羽田空港)がじっくりと撮られた。高き秋空に、東京飛行場をプロペラ機が飛び立つ。東京の新しい風物詩として描かれた空港、そこに設けられた小振りな管制塔がモダンで素敵だ。


絵葉書/東京飛行場(現・羽田空港)

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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