ウチコミ!タイムズ

賃貸経営・不動産・住まいのWEBマガジン

まちと住まいの空間 第37回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり⑧ ――昭和初期の東京の風景と戦争への足音(『東京の四季』より)(2/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2021/06/16

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

「夏」の映像はすべてプロローグで処理、登場する水辺の風景

夏を主体とするプロローグは、女性のパラソル、男性の白い革靴にカメラがズームインする。

ショーウィンドーには男性の靴と帽子、女性と子どもの水着が陳列された光景を撮り、夏らしさが表現された。夏の風物詩だった銀座通りの日除け、その裏通りで涼しげに鳴る風鈴の風景と続く。

東京の夏の到来を告げる行事といえば、7月下旬に行なわれる「隅田川の川開き」。関東大震災後に近代橋梁に架け替えられた両国橋の上空で花火が炸裂する。両国橋と花火の様子を描いた広重の名所絵が思い浮かぶ。ただし、この映画の主役は昭和初期の新しい夏の風物詩であろう。

神田川の水源として知られる井の頭池を取り巻く井の頭公園の自然となる。


井の頭公園、『日本地理大系 大東京篇』(改造社、1930年)より

関東大震災後の井の頭公園周辺は、別荘地から郊外住宅地となりつつあった。「ラジオの号令に合わせて」のフリップから、夏の林間学校と見まがう風景のなか、子どもたちも、大人たちも真剣にラジオ体操に取り組む。私たちにお馴染みのラジオ体操は、昭和3(1928)年11月1日、昭和天皇即位の大礼を記念してスタートした。この映画が製作されるわずか数年前のことだ。

涼しげな井の頭公園の次は「暑い夏が来る」のフリップ。

強い日差しを受け、人影も疎らな東京駅と上野駅の駅舎が交互に映し出され、灼熱の東京をイメージさせる。地方と結びつく日本の終着駅は圧倒的に東京駅であり、上野駅。上野駅は映画が製作された昭和7(1932)年に2代目駅舎として落成したばかり。その露出度の高さは新名所としての注目度に比例した。


絵葉書/上野駅

夏の暑さに耐えて働く人たちの姿が映され、水を湛えた東村山貯水池(1916年着工、1927年完成)へと画面が切り替わる。関東大震災後には東京に潤沢な水を送る仕組みができ、その水が「東京へ!」「街へ!」と送られた。日比谷公園など、公園の噴水が涼(りょう)を演出し、散水自動車が熱した街路の路面を冷やす。散水自動車は昭和10年代に普及するが、昭和7(1932)年ころはまだ珍しい光景であり、映画にも登場した。

「水の東京」のフリップ。

「水の東京」は、幸田露伴が明治35(1902)年に発表した随筆のタイトルである。昭和5(1930)年に完成した荒川放水路(現・荒川)を競争用のモーターボートが疾走する映像から「お台場 江戸を護るために造った砲台の遺蹟」のフリップへと切り替わる。

東京湾海上に浮かぶ第六台場をカメラがとらえる。その東側にある埋立地(現・テレポートタウン)と陸続きの第三台場は、東京市(現・東京都23区)が昭和3(1928)年に整備して台場公園とした。ペリー率いる黒船来航の時代に設置された砲台が残る。当時も今も、意外に東京名所の穴場かもしれないと映画を観て思う。


東京湾上の船から現在の第六、第三お台場を眺める

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

ページのトップへ

ウチコミ!