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まちと住まいの空間 第30回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり①――地方にとっての東京新名所(3/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/11/25

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『東京見物』の描く近代東京8つのエリア

『東京見物』の観光名所は、大まかに8つのエリアに分けて紹介する。


図/『東京見物』に登場する場所

映像は「東京駅」からはじまり、1.「丸の内、宮城(現・皇居)」、2.「霞が関」、3.「赤坂(赤坂離宮、旧乃木邸)」、4.「寺社(靖国神社、増上寺、泉岳寺)」、5.「繁華街(銀座、日本橋、神田万世橋駅付近)」、6.「上野」、7.「浅草」、8.「隅田川」と進み、「隅田川河口部の東京湾」で終わる。


絵葉書/東京駅

登場する場所を見ると、訪れた名所の数は明らかに「南高北低」であり、南側に比重が置かれている。「北高南低」の江戸ではない。それぞれの名所は、全体的に江戸をベースとしながらも、明治という時代が意識的に描かれる。建築でいえば、東京駅、万世橋駅などの赤煉瓦建築。人でいえば、明治天皇と乃木大将。そして東京の風景の一部となった西郷隆盛などの銅像。


絵葉書/西郷隆盛の銅像

東京に置かれた銅像の多さは、知名度の高い人物の多さといえよう。このような明らかに近代東京の名所の定番といえる場所のほかに、「なぜ」「どうして」という映像が幾つか散見する。東京名所の定番風景は次回以降に譲るとして、その「はてな」マークを見ていくことで第1回は締めくくりたい。

例えば、「弁慶橋」と「泉岳寺」。明治・大正期の絵葉書にほとんど登場しない。ただし、「泉岳寺」は赤穂浪士四十七士の墓があることで全国的に知名度が高い。墓を写した絵葉書は、泉岳寺本堂や山門の希少さに比べ多く目にする。


絵葉書/泉岳寺の本堂

映像に墓が出てこないが、弁士でもいれば、泉岳寺が映された時に忠臣蔵、赤穂浪士の話で盛り上がりを見せたかもしれない。

次に赤坂見附にある「弁慶橋」。この橋は、橋の名前から「武蔵坊弁慶」をつい想像してしまうが、そうではない。弁慶濠は、寛永13〜16(1636〜39)年の間に外濠として掘られた。この濠は、江戸城普請の大工棟梁で、名高い木技師として知られた弁慶小左衛門が手掛け、濠の名ともなる。

しかし、この濠に橋が架けられた時期は遅く、明治22 (1889) 年まで待たなければならない。この橋の名が「弁慶」と名付けられた背景は、濠の名からだけではない。架橋には、藍染川に架けられていた名橋と謳われた橋の古材が再利用された。橋を手掛けた人物がやはり弁慶小左衛門ということで、「弁慶橋」と名付けられるに相応しいなりそめがあった。ただ、大正期映像に映し出された橋の欄干は、立派な擬宝珠で飾られていた。


絵葉書/弁慶橋と弁慶濠

いくら名工とはいえ、藍染川に架かる橋に擬宝珠はあり得ない。弁慶橋は、江戸時代の三六見附の城門に架かる、筋違橋、浅草橋、神田橋、一ツ橋にそれぞれあった擬宝珠が移され、擬宝珠のある橋となる。擬宝珠があったそれぞれの橋は、東京都心の陸上交通の重要な場所に架けられていただけに、木造から石造、あるいは鉄造の橋に架け替えられるタイミングでもあった。全国的な知名度がないとしても、弁慶橋は明治期に凝縮して示された江戸の風景だともいえる。制作者側の意思がここに強く込められているようにも思えるが、現在そのことを確認することはできない。

【シリーズ】ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり
②『大正六年 東京見物』無声映画だからこその面白さ
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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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