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まちと住まいの空間 第30回 ドキュメンタリー映画に見る東京の移り変わり①――地方にとっての東京新名所(2/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/11/25

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世界最初の映画公開から『東京見物』へ

映画の起源は、一般的にフランスのリュミエール兄弟が明治28(1895)年に『ラ・シオタ駅への列車の到着』、『工場の出口』などを最初に映画公開した時とされている。ただし、エジソン(1847〜1931)年をはじめ、同時多発的に「活動写真(今日の映画)」(当時の開発方法によっていろいろな呼び方があるが、ここでは煩雑さを避け、「活動写真」に統一して語ることにしたい)の開発は進められており、時期を経ずにそれぞれが映画公開の道を切り開く。世界初の映画公開から、今回話題とする『東京見物』が上映されるまでは、僅か22年の歳月に過ぎない。映画は驚くべきスピードで日本においても大衆化されてきた。

リュミエール兄弟の初公開から僅か1年、翌年の明治29(1896)年には「活動写真(キネスコープ)」が神戸の高橋新治によって日本に持ち込まれた。その映像を小松宮彰仁親王が観ている。明治30(1897)年になると、2月に大阪、3月に東京と、エジソン社製の「活動写真(ヴィスタスコープ)」が上映された。

東京では、明治32(1899)年6月1日、神田の錦輝館(きんきかん、1891〜1918年、現・神田錦町3-3)においてアメリカのニュース映画『米西戦争活動大写真』が初上映された。この時が「日本初のニュース映画上映」とのこと。明治期の神田は、大衆という面では、現在からの想像を遥かに超える注目度があったようだ。


絵葉書/明治期の神田神保町通り

家近良樹著『その後の慶喜 大正まで生きたい将軍』(講談社選書メチエ/ちくま文庫)に、写真の撮影を趣味とした徳川慶喜が「明治32年の6月10日には、神田錦町にあった錦輝館で活動写真(いまの映画)を見ている」と書いてある。新しもの好きの慶喜が封切りから10日遅れで活動写真を観た。

慶喜が映画を観た年から4年後、明治36(1903)年には、日本最初の活動写真の常設館「電器館」が浅草六区に開設された。日露戦争(1904・05年)後は戦況を知らせる実写映像が活動写真への関心を高め、映画館に向かう客が飛躍的に増加する。日本映画は、絵葉書と同様に、日露戦争が画期となった。

明治40(1907)年代になると、浅草六区には電器館の他、三友館、大勝館、富士館、帝国館、金龍館などの映画館が誕生し、日本一の活動映画の街となる。


絵葉書/人々で賑わう関東大震災前の浅草六区

新着洋画はまず浅草で封切られた。動画への関心は、地方での巡回映画の人気を高める。首都として近代都市化が進む東京をドキュメンタリータッチで描く『東京見物』も日本中を巡回上映された。

記録映画が映し出す近代東京の名所とは

明治という時代は、観光名所を紹介する方法が錦絵から写真の絵葉書に変わる。

東京土産として、明治33(1900)年以降に絵葉書が近代化する東京の名所を全国に伝えた。東京は、天皇が住まう宮城(皇居)を中心に、政治、経済、文化、娯楽の最先端が都市風景をつくりだしていた。こうした東京の近代景観は、江戸の風景を引きずる地方でもてはやされた。

東京の観光地を映しだす『東京見物』の上映場所には老若男女が集まるが、その多くが東京をよく知らない人たちだ。どこを映せば、大正のころの帝都東京をクリアーにイメージさせられるのか。映像は、地方に居ながらにして東京を察知できる必要があった。誰でもが認知できる東京の風景であり、近代東京の名所でなければならない。

江戸時代からの名所の定番である浅草や上野は、東京を確認する上で重要なスポットとなる。しかも、これらは近代東京を示す新名所が明治・大正期に加わっていた。

上野は幾度も博覧会が開催され、その度に芸術の森として変貌する。同時に子どもたちが楽しめる動物園も開業し、近代の芸術文化と娯楽が同居する。


絵葉書/上野動物園入口

ただし、『東京見物』では、シロクマなど、動物の撮影時間が大変長い。地方の子どもたちが視野にあったのだろうか。

浅草は、浅草寺とともに、近代以降の娯楽の殿堂として六区が賑わいをみせる。映像は、場所の知名度と、西洋という新しい文明の象徴が合体することで、近代東京の名所をアピールした。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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