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共同養育できなかった私が、子どもが成人した今だからこそ伝えたいこと(2/3ページ)

しばはし聡子しばはし聡子

2020/12/25

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――突然家族がいなくなった元夫さんは、その後どういうアクションをとられたのでしょうか。

家を出るときに私が置き手紙をしたんです。その後に元夫が子どもを連れ戻しにきたらどうしよう、という恐怖もあったのですが、実際は電話が何度かかかってきただけで、彼から子どもに会わせてほしいという要求もとくになかったです。このまま彼が子どもと会わないと父親として責任をもてなくなるのではと感じました。

私もふたりの子どもたちを育てることに必死で、別居直後は父親と会わせよう、と考えてはいましたが、私が彼に対してフラッシュバックが起きるため会える精神状態ではありませんでした。

――その後、夫婦関係はどうなりましたか。

協議離婚となりましたが、夫は子どもに会いたい、と主張はしてきませんでした。もともと子育てに協力してほしいと私はずっと思っていたけれど、そんなに協力的なタイプではありませんでした。

私自身、彼の面会により、私たちの生活が乱されることが一番の心配でした。父親として成長してほしいという思いは私にはあり、結局離婚時は、安心して会わせられるように彼が考えてくれ態勢が整ったら子どもにも会ってほしいと私から提案をしたんです。

そして、時期が来た時に第三者に入ってもらって面会交流をしてほしいと私からお願いしました。元夫も家族で食事をしたいと言ってくれて、何度か会う機会はありました。

ただ、その後彼は自営業で経済的にも大変になり、養育費が滞るようになっていったんです。私からは、どうするの?と聞くことしかできず、お金に絡むやり取りばかりが増えていきました。そして、面会の交渉も減っていきました。

――お子さんと父親は連絡をとれる状態でしたか。

上の子は、中学生のときにお父さんにこっそり連絡をしていたようです。元夫は子どもたちへの気持ちはあると言いながらかたちに表してくれない、そんな状態だったので私も気持ちとしては快く思えない部分がありました。それを娘の前で態度に出してしまっていたので、いま思えば娘には悪いことをしてしまいましたね。

一方で、義母との関係は続けていました。義母もいろいろと心配してくださって、いろいろな面でサポートしてくださいました。でも、義母にとってみたら息子はいちばん可愛い存在。ひとりになった息子が心配と、私の前で泣くこともあり苦しかったです。

――いま振り返ってみて、こうすればよかったな、ということは具体的にどんなことですか。

養育費支払いは、取り決めをしたにも関わらず守られなかったことがとにかく嫌でした。それなのに元夫は、子どもの誕生日には何か送らせてほしいと言ってきたりして。そんなやり取りが煩わしかったですね。私自身も、彼の子どもに対する気持ちを追い詰めてしまったと、いまになって思います。

本当の意味で父親の出番は子どもが思春期を迎えたとき。うちの子どもたちは、お母さんは強い、と思っていたみたいだけれど、思春期は娘たちの反抗に苦しさを覚え、手に負えず私も苦労しました。

そんなときに父親のサポートがあれば子どもも私ももう少し気持ちが楽になれたかもしれません。以前、別居父の立場の方が、別れた奥様から子どもが思春期に入ったからサポートをしてほしい、と言われたと聞いて、そんな関係が羨ましいと思いました。

片親だとどうしても、私の意見ばかりが子どもたちに入ってしまい偏ります。大きくなると物理的にカバーできないことも増えてきますし、子どもたちにとっても、父親にちょっとしたことを話せる環境を提供してあげたかったです。

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この記事を書いた人

一般社団法人りむすび 共同養育コンサルタント

1974年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。自身の子連れ離婚経験を生かし当事者支援として「一般社団法人りむすび」を設立。「離婚しても親はふたり」共同養育普及に向けて離婚相談・面会交流支援やコミュニティ運営および講演・執筆活動中。 *りむすび公式サイト:http://www.rimusubi.com/ *別居パパママ相互理解のオンラインサロン「りむすびコミュニティ」 http://www.rimusubi.com/community *著書「離婚の新常識! 別れてもふたりで子育て 知っておきたい共同養育のコツ」️

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