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子どもと離れて暮らしたからこそわかる親子のつながりの大切さ(1/3ページ)

しばはし聡子しばはし聡子

2020/06/20

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イメージ/123RF

さまざまなカタチで離婚後も両親で子育てを行っているママの実体験を記事化したシリーズ。今回は、1年ほど子どもと離れて暮らした経験があるママを直撃インタビューしました。

――離婚までの経緯をお聞かせください。

金銭関係で夫ともめ離婚の話し合いをしているときに、突然、夫が子どもを連れて家を出たんです。今まで普通に一緒に暮らしていた子どもといきなり会えなくなり、ショックで途方に暮れました。街中を歩いていて家族連れを見るだけで涙が溢れました。

ただただ会いたい日々が続きました。会えないのであれば声だけでも聞きたい、声が聞けないのであればプレゼントを受け取ってほしい、それをも叶わないならば生きていることが分かればいいとまで思うようになっていました。

監護者指定審判、離婚裁判の最中に3カ月ぶりに裁判所で子どもたちに会えたのですが、長男は私のことを避けるようになっていました。当時、子どもに会えない親の集まりに参加したり子どもの心理を学んでいたので、これが「片親疎外」というものなのだとすぐに分かりました。

事前に学んでいたからよかったものの、何も知らずにあの状態の長男と再開したらショックで自信を失い諦めていたかもしれません。

そして、私はいくらつらくても構わないけれど子どもの心を壊してはならないと、それだけを望みました。

夫と暮らして幸せならいいけれど、子どもたちの様子を見ているとそうは思えなかったので、子どものために私が一緒に暮らしたいという思いでいっぱいでした。

幸い担当した調査官が前向きに面会交流を提案してくれたり、子どもの気持ちを重んじてくれる方だったので、裁判の後半戦は宿泊の面会交流を頻繁に行うこともできました。その甲斐あってか、1年の裁判を経て、私が監護者として子どもたちと暮らすことができるようになりました。

私は運良く監護者になることができましたが、多くの人はそうはいきません。裁判所で起きることや裁判官や調査官はまるでスロットマシーンのよう。当たり外れのある賭け事みたいに感じられました。

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この記事を書いた人

一般社団法人りむすび 共同養育コンサルタント

1974年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。自身の子連れ離婚経験を生かし当事者支援として「一般社団法人りむすび」を設立。「離婚しても親はふたり」共同養育普及に向けて離婚相談・面会交流支援やコミュニティ運営および講演・執筆活動中。 *りむすび公式サイト:http://www.rimusubi.com/ *別居パパママ相互理解のオンラインサロン「りむすびコミュニティ」 http://www.rimusubi.com/community *著書「離婚の新常識! 別れてもふたりで子育て 知っておきたい共同養育のコツ」️

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