放課後をスタバで過ごす子どもたちから奪われるもの(2/2ページ)
遠山 高史
2021/05/20
外来に訪れる若い人の「悩み」とは
外来で訪れる人のなかには、相手の考えていることが分からないとか、上手く会話ができないという相談を受けることがあるが、今後このような悩みをかかえる人が増えていくのではないかと思っている。
それは、やはり、今の日本になんだかわけの分からない物がなくなってしまったからだ。
妖怪が潜んでいそうな雑木林はなくなった。いじわるバアサンが運営するかび臭い駄菓子屋もない。それらは、安心安全ではなかったかもしれない。だが、予測不能な、しかも理不尽な事柄を学ぶためには、必要な場所、必要なものではなかったか。
少し前、中国の地方都市に視察に行ったことがある。
近代化著しい中国だが、そこにはまだ、古びた駄菓子屋があって、子どもたちがたむろしていた。貧しい労働者たちの街だと通訳は言った。子どもたちは、身なりは良くなかったが、皆、活力に満ちていて、楽し気だった。
彼らは、古びたサッカーボールを蹴りながら、菓子を食べていたので、私も買ってみた。日本円で、二十円しないくらいだったと思う。ボール紙製の箱にむき出して並べられており、衛生的とはまったくいえない代物であったが、そんなことを気にする人間はそこにはいなかった。
口に入れると、梅干しと何かの香辛料を混ぜ込んだような味で、粉っぽい。決して美味くなかったが、子どもたちが、そのなんだか分からない菓子を幸せそうに頬張っている光景をみて、無性に羨ましくなったものである。
子どものうちは、シャレたカフェのアイスクリームよりも、得体のしれない駄菓子のほうが、ウマイし、楽しい。手入れされた芝生の公園でのバーベキューより、草深い野原で、友だちと一緒に虫を追いかけるほうがワクワクする。
私が子どものころ、田舎の祖母は裏の椎の木に登り落下し、手足を擦りむいた私に言ったものだ。
「つばでもつけておけ」
こういう乱暴な言い方は、自然セラピーや森林医学でも言わないだろうが、自然と生きてきた祖母はより深い意味をこめて孫に言い放ったのかもしれない。
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この記事を書いた人
精神科医
1946年、新潟県生まれ。千葉大学医学部卒業。精神医療の現場に立ち会う医師の経験をもと雑誌などで執筆活動を行っている。著書に『素朴に生きる人が残る』(大和書房)、『医者がすすめる不養生』(新潮社)などがある。