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まちと住まいの空間 第26回 「ブラタモリ的」東京街歩き③――高低差、崖、坂の愉しみ方:赤坂・六本木編(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/07/31

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再開発に翻弄されながらも残る坂道のある六本木

10年3月11日に放送された「ブラタモリ六本木」は、番組の前半と後半でテーマががらりと変わる。前半は軍の施設の痕跡を追う。後半は、再開発と関係づけて坂道をテーマとした。牧歌的に坂道を描いた赤坂と比べ、六本木は社会派風に再開発とからめて坂道を登場させた。


六本木の江戸時代の土地利用と後に再開発に翻弄される坂道

赤坂と六本木、担当するディレクターの色が坂道の扱いに出ていて面白い。

六本木の前半は、開発で新たに誕生した施設を扱う。放送当時の話題性の高さでは、東京ミッドタウン(07年開業、萩藩毛利家下屋敷跡)と国立新美術館(07年開館、宇和島藩伊達家上屋敷)となろうか。ホットな話題性から番組が組み立てられていく。

これら2つの施設は、明治期に大名屋敷から陸軍の施設に変化した。戦後は米軍に接収され、六本木がアメリカナイズされた街へと変わる。その間には、2つの道が平行する不思議な道、龍土町美術館通りがある。この通りは、薬研坂のようにV字をゆるやかに描く江戸時代の道では戦車が通りにくいと、高低差のない道をもう一つ新設したもの。平行する2つの道は軍の施設が集中する六本木をさらに印象づけるものとなっている。

坂道をキーワードにするとどうなるか。軍の施設と関連しない六本木ヒルズ(03年開業)が浮上する。それは、元の地形を活かして清水園を再現した優等生の東京ミッドタウンに対して、江戸時代の庭園を再現したものの、元の地形を改ざんして誕生した劣等生の六本木ヒルズという位置づけとなろうか。

六本木ヒルズのあるあたりは、窪地にある密集市街に至る内田坂がかつてあった。六本木ヒルズの開発で窪地が埋められ、坂道の形状がすっかり変わる。ただ、内田坂に下る階段状の細い坂道の一部が残る。


内田坂に下る階段状の坂道

番組ではその痕跡からスタートし、再開発前の光景を撮影した写真から当時の風景が映像で再現された。この着眼点は面白い。

変化の激しい六本木周辺。10年3月11日放送で映し出された風景は、10年間でさらに激変する。我善坊谷にあった組屋敷跡に成立していた住宅地が再開発の波にさらされていた。今後、谷筋には大量に土砂が入り、地形が改変されてしまうだろう。


再開発が進む我善坊谷

我善坊谷に至る一連のシーンは、タモリさんと久保田アナウンサーが鼬(いたち)坂(別名:鼠坂)を上るところからはじまる。犬の散歩で通り過ぎる女性に、犬を指差して「いたちでしょ」と連呼。この坂を上がる時、タモリさんはあまり気乗りがしない風だった。一本東側に「好きな狸穴(まみあな)坂があるのに、どうしてこっちの坂なの」とでもいいたげだ。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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