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まちと住まいの空間 第26回 「ブラタモリ的」東京街歩き③――高低差、崖、坂の愉しみ方:赤坂・六本木編(2/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/07/31

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このなかで一番新しい坂は、稲荷坂とともに元禄年間(1688〜1704年)に開かれた丹後坂である。薬研坂と丹後坂は坂の映像のみで、タモリさんたちの姿はない。円通寺坂は、楽しく会話しながら坂道を上るシーンだが、会話の音声はない。三分坂では急勾配の坂をタモリさんたちが語らいながら下る。こちらは、音声が入り、他の坂と比べ熱が入る。

映像からの私の勝手な思い込みだが、『タモリのTOKYO坂道美学入門』(2011年刊行)に登場する坂道が三分坂だけで、タモリさんは三分坂以外このあたりの坂にあまり興味がなさそうに見えた。タモリさんの好きな坂道を事前にリサーチしておけば笑顔のタモリさんのシーンが数多く撮れたかもしれないが、やはり「ブラタモリ」がそこにおもねっては番組スタッフとタモリさんが対置するスリリングな面白さを欠くことになる。

『タモリのTOKYO――』では、タモリさんの好きな「三分坂」は「湾曲」で5つ星を取得する。「由緒」も江戸中期からある「練塀(築地塀)」があることから5つ星だ。


報土寺の「練塀」と三分坂

報土寺は、慶長19(1614)年に、赤坂一ツ木(現・赤坂二丁目)に創建された。その後境内地が幕府用地となり、安永9(1780)年に三分坂下の現在地に移転してきた。三分坂沿いにある築地塀は、報土寺が移転した時につくられたもので、江戸の姿を今に伝える貴重な建造物である。「三分坂」は急勾配だが、どういうわけか『タモリのTOKYO――』では勾配の評価が星4つとやや低め。江戸情緒になると、3つ星とさらに下がる。報土寺に面する以外、坂沿いの風景が江戸情緒をあまり感じさせないことから、勾配の評価にも影響したのだろうか。そのような思いが浮かぶ。

報土寺で展開するシーンでは、「ブラタモリ―上野編」にフル出演した寛永寺の住職と全く異なるキャラクターを持つ住職がタモリさんに迫る。寺の住職は、しゃべりが商売といったらいい過ぎか。落語家、建築家、お笑いタレントとともに、しゃべり倒す勢いは共通するように思えるのだが。

番組は、報土寺に墓がある雷電為右衛門にまつわる話で盛り上がりを演出。明和4(1767)年に信州(長野県)小諸に生まれた雷電為右衛門は、相撲取りの資質が並外れていたという。当時最高位だった大関を三十三場所つとめ、寛政2(1790)年から引退までの22年間で二百五十勝十敗と驚異的な勝率を残した。ほとんど負けていない。その履歴が語られた後、当時の住職との酒相撲を話題にし、住職が勝利する意外性で坂道のテーマは終わる。坂道ファンにとっては多分に拍子抜けかもしれないが、視聴率は13%を超えていた「ブラタモリ―銀座」を僅かに抜いて最高視聴率に輝いている。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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