ウチコミ!タイムズ

賃貸経営・不動産・住まいのWEBマガジン

まちと住まいの空間 21回 東京に建設される超高層ビルの足跡を追って(2/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/03/03

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

水辺に次々と検察される超高層ビル(隅田川河岸~臨海部)

臨海部での超高層ビル建設の動きは、その後2つの流れを生みだした。ひとつは、リバーシティ21で試みられた住宅供給を目的とした、臨海部の超高層ビル建設の動きである。月島など埋立地に超高層ビルが建つようになる。いまひとつは、住宅以外の超高層ビルが江戸時代に埋め立てられ、武家屋敷だった場所に誕生した。隅田川を挟んだリバーシティ21の向かいに、聖路加タワーオフィス棟が平成6(1994)年に221mの高さで建つ(写真3)。臨海部では最初の200m以上の超高層ビルとなった。


写真4、再開発前の汐留貨物駅跡地(1994年撮影) 写真5、超高層ビルが林立する汐留シオサイト(2012年撮影)

隅田川河岸の超高層ビルはさらに数を増やしていく。汐留貨物駅跡地の再開発がはじまろうとする平成6(1994)年、再開発前の発掘調査が試みられている現場の近くを何度か通った(写真4)。
江戸時代、仙台藩伊達家上屋敷(約2万6千坪)、龍野藩脇坂家上屋敷(約8千坪)、会津藩松平家中屋敷(約2万9千坪)と、3つの藩邸だけで6万坪を優に越える土地だった。その屋敷跡は明治に入り鉄道が通される。新橋ステーションと貨物の操車場が広大な土地に設けられ、西欧からの近代文明が東京に運び込まれた。

平成7(1995)年になり、その跡地が東京都による都市基盤整備と民間プロジェクトの再開発に結びつき、始動する。平成16(2004)年には13棟の超高層ビルがすでに建っていた。2002年に開業した電通本社ビル(最頂部213m、屋上210.1m、港区東新橋1-8-1)と2003年に開業した汐留シティセンター(216m、港区東新橋1-5-2)は200mを越える超高層ビルであった(写真5)。
そして、今も周辺では超高層ビルの建設が進行中である。

次ページ ▶︎ | 2000年代から高さだけでなく文化的要素も採り入れられる(アークヒルズ~六本木ヒルズ)

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

タグから記事を探す

ページのトップへ

ウチコミ!