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まちと住まいの空間 21回 東京に建設される超高層ビルの足跡を追って(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/03/03

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2000年代から高さだけでなく文化的要素も採り入れられる(アークヒルズ~六本木ヒルズ)


写真6、森タワーから見たアークヒルズ(2003年撮影)

江戸時代前期に山の手で進められた大名屋敷の開発は、平坦な台地の尾根を選ぶように道が通され、その道に沿って敷地割りがなされたものである。大名屋敷内裏の斜面地には高低差をうまく利用した庭園がつくられた。大名屋敷が占めていた江戸時代の山の手は、明治期以降も細分化せず官や軍の施設など、公共用地に転用されたものが多い。土地利用転換がスムースに行なわれれば、広大な敷地を必要とする超高層ビルの建設が比較的容易な土地環境にあった。

しかしながら、台地と低地が襞のように細かく入り組む赤坂・麻布台地では、超高層ビルの建設はしばらくの間無縁であった。広大な大名屋敷跡地は官が占め続けていたからだ。その他の土地も、台地上の土地だけでは大規模な再開発に手詰まり感があった。

昭和61(1986)年になると、六本木でアークヒルズが台地と低地の混在する場所をまとめることができ、超高層ビルを核に再開発が可能となる。メインの建物高さは153メートル(写真6)。

この開発は赤坂・麻布台地では最大級の都市再開発であった。西新宿ではすでに200メートルを超える超高層ビルが複数建てられており、建物高さでは話題性がないとしても、この再開発では山の手で超高層ビル建設の可能性な土地条件を浮き上がらせた。


写真7、世界貿易センター上階から見た六本木ヒルズの森タワー(2011年撮影)

2000年を過ぎたころからは、単に超高層ビルを建てるだけの再開発に対し、疑問が投げかけられた。特に、文化的遺産を保持する場所の再開発にはその貢献が求められるようになる。近代建築の保存を意図した建物だけでなく、江戸時代の庭園にも目が向けられた。

そうしたなかで238メートルの森タワー(2018年9月時点で6番目の高さ)を核とした六本木ヒルズ(港区六本木6-10-1)は、平成15(2003)年にオープンする。

長門府中藩毛利家上屋敷跡地を種地として、下総小見川藩内田家上屋敷だった跡地を取り込むかたちで再開発がなされた(写真7)。開発地では、江戸時代の庭園を忠実に再現したわけではない。だが、超高層ビルの足元に過去の記憶を想起させる水と緑のオアシスが誕生し、歴史的な記憶の繋がりを感じ取れる機会が生まれた。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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