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たくさんあった「日本の暦」

全国でバラバラだった日本のお正月(3/3ページ)

正木 晃正木 晃

2019/12/24

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日本は、唐をのぞけば、歴代の中華帝国と正式な外交関係をもたなかったために、朝鮮半島などとは違って、中国で作成された暦の使用を強制されることはなかった。とはいっても、自前で暦を作成するだけの力はなかったから、唐時代に作成された宣明暦(せんみようれき)を輸入してきて、朝廷の陰陽寮(おんみようりよう)から全国へ頒布していた。
この状態は、江戸時代の中期の貞享(じようきよう)2年1月1日(1685年2月4日)に、江戸幕府の初代天文方をつとめたしぶかわはるみ渋川春海 (1639-1715)によって作成された貞享暦(じようきようれき)に改暦されるまで、なんと823年も続いた。

もっとも、こんなに長く続くと、大きな誤差が生じてしまう。おまけに京都の朝廷の力が衰えてしまったので、頒布も統制もできなくなってしまった。そこで、室町時代の後期になると、各地で宣明暦をもとに三嶋暦、会津暦、京都の経師暦(きようじごよみ)、南都暦(なんとごよみ)、丹生暦(にうごよみ)、伊勢暦など、独自の仮名書き暦(仮名暦=かなごよみ)が作成された。作成したのは暦の知識をもっていた地方の陰陽師などで、暦師と呼ばれていた。

ただし、その能力はかなり疑問で、計算違いもけっこうあった事実が指摘されている。したがって、暦ごとに日付が異なる場合もあらわれ、正月が全国一律の日付で祝われない年もあったようだ。

 

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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