ウチコミ!タイムズ

賃貸経営・不動産・住まいのWEBマガジン

たくさんあった「日本の暦」

全国でバラバラだった日本のお正月(2/3ページ)

正木 晃正木 晃

2019/12/24

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

そもそも1年の初めを1月にする、言い換えれば正月にすると常に決まっていたわけではない。

古代中国を例にあげると、最古の王朝とされる夏の暦では、グレゴリオ暦が導入される前の日本と同じように、旧暦の1月が正月だった。

ところが、夏を滅ぼした殷の暦では真冬の12月が正月だった。殷を滅ぼした周の暦では11月が正月だった。中国を初めて統一した秦の暦では初冬の11月が正月だった。秦を滅ぼした前漢の武帝の時代に発行された太初暦になって、夏の暦にもどり、いわゆる旧暦の1月が正月になった。

しかも、かつての中国文明圏では、中華帝国が発行した暦を採用することは、中華帝国の冊封体制下に入る、すなわち属国になることを意味していた。だから、どこかの国が中華帝国に朝貢すると、暦を下賜され、この暦を使えと命じられたのである。

この種のことは、世の東西を問わない。この理屈でいくと、現代の日本は、ローマ教皇のグレゴリウス13世が1582年10月15日から発行させたグレゴリオ暦を使っているから、キリスト教の支配下にあることになってしまうが、いかがなものだろうか。

では、暦と支配被支配の関係が結びつけられたのは、なぜか。そこには、暦を作成する者は、時間を支配するという思想がかかわっていた。さらに、暦は太陽と月をはじめ、天体の運行にもとづいて作成され、その天体の運行と人間の運命の間には密接な関係があるという思想もかかわっていた。

要するに、支配者は暦を作成することで、余人に先立って、天体の運行からいちはやく未来を予知してうまく対処できるのであり、逆にいえば、そういう能力をもてないようでは、支配者の資格がないとみなされていたのである。

たくさんあった「日本の暦」

次ページ ▶︎ | たくさんあった「日本の暦」 

  • Facebook
  • Twitter
  • LINE
  • Hatebu

この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

ページのトップへ

ウチコミ!