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全国に6万。増え続ける無縁遺骨と、私が選んだ死後の「献体」のこと

朝倉 継道朝倉 継道

2023/04/12

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無縁遺骨6万柱の調査結果

この3月に、総務省がある調査結果を発表し、その一部が報道され話題を呼んだ。「無縁遺骨」がいま全国に6万柱(はしら)ほどあるという。

無縁遺骨とは、引き取り手がいない、亡くなった方の遺骨を指す言葉だ。これらは各市区町村が保管・管理している。

無縁遺骨の2021年10月末時点での数と、同じく過去の数字を挙げてみよう。(総務省「遺留金等に関する実態調査 結果報告書」より)

「引取者のない死亡人の遺骨の保管状況」
21年10月末日 保管柱数 5万9848柱
無縁遺骨を保管している市区町村の数 822
21年3月31日 保管柱数 5万6745柱
無縁遺骨を保管している市区町村の数 794
18年3月31日 保管柱数 4万5478柱
無縁遺骨を保管している市区町村の数 641

このとおり、18年3月31日から21年3月31日までの3年間で、保管柱数は約25%増加している。21年4月から同年10月末までの7カ月間においても、増加率は5%を超える状況だ。高齢の単身世帯が増えていることなど、社会的背景を考えると、無縁遺骨にあっては今後さらに増加が加速する様子が窺えるといったところだろう。

現実は「もっと多い」

そのうえで、上記の数字は、実は間違いなく実態よりも少ない。なぜならば、この調査においては「柱数は不明」と回答した市区町村は、数に含まれないことになっている。

また、「合葬等により、遺族等への引渡しが不可能な保管方法による場合も柱数を把握していれば保管柱数に含む」とのことから、逆に柱数を把握していない場合、その数はやはり結果に反映されていないこととなるわけだ。すなわち、「無縁遺骨約6万柱。しかし実際はさらに多い」が現実となる。

なお、こうした無縁遺骨は、

  • 「市区町村営の墓地、納骨堂、斎場等」
  • 「執務室内のキャビネットや倉庫」
  • 「仏教寺院等の宗教施設」
  • 「遺品整理業者の倉庫や老人ホームの無縁墓」

こうしたさまざまな場所に、市区町村の責任において保管されているという。

無縁遺骨すべてが「無縁」なわけではない

ところで、主にメディアが無縁遺骨というため(当記事もそうだが)、これら遺骨はすべてが真に「無縁」なのかと思えば、実はそうではない。

今回の調査に挙がった6万近い無縁遺骨のうち、「住所、居所または氏名が分からず、かつ引取者がいない死亡人」(=行旅法に基づく行旅死亡人)の遺骨とされるのは6,055柱になる。たしかに、これらは「無縁」の方々といえるだろう。

一方、それ以外にあっては身元は判明している。なおかつ、親族の所在も確認されているケースが少なくないようだ。

しかしながら、そうした親族も、亡くなった方とは疎遠だったり、困窮のため遺骨を受け取っても納骨費用が工面できなかったりといった理由から、引き取りを断ることも多いらしい。

そこで、遺骨は行き場を無くしてしまうわけだが、こうした状況をうけて、今般報告書がまとめているところの提言が以下のとおりとなっている。(要約)

  • 法令上、引取者のない死亡人の遺骨の保管に関する規定はない
  • 市区町村等が保管せざるをえない遺骨は、今後さらに増加すると想定される
  • 厚労省においても課題を把握し、検討を行い、方向性を示すことが望まれる

たしかにそのとおりだろう。

遺骨は必要か?

さて、ここからは筆者の話をしたい。

なお、この話は、増えていく無縁遺骨やその前段階での「無縁遺体」の扱いを今後どうすべきか? やがてはそこに繋がっていく可能性のある話なのかもしれない。

実は、死者が残す遺骨について、そもそも筆者は「それが必要なのか?」と、以前から疑問に思っている。

その上で、あくまで自分に限っていおう。あえての暴言だが、私が死んだあとに骨が残っても、私が思うところこれはまったくのゴミであるにすぎない。

日頃、私は爪切りでツメを切ればこれをクズ入れに捨てる。ツメはゴミとなって廃棄される。この場面における切り取られた「ツメ」と「遺骨」とに、私はさっぱり違いを見出せない。

さらにいえば、髪を切ったあと、美容室などに処分を預け、放置してくる髪の毛についても同様だ。

加えて、遺体そのものにも私は昔からさほど意味を感じない。

自分の遺体であればそれはなおさらのことで、私の体がそうなれば、そのようなものはわざわざ棺に入れて拝んだりする必要はなく、さっさと袋に詰めて燃えるゴミに出してもらって構わない。

もっとも、それでは法律上実行者に罪がおよぶ上に、収集の方なども迷惑する。

そのため、自分が使用し終わった廃棄物たる遺体が、世間や家族に余計な処理の手間を生じさせ、負担を強いる現実をどうしたものか、筆者にあっては以前からふとしたときにそれを考え込むことが少なくなかった。

思い出した「献体」のこと

そこで、昨年秋頃に筆者は「献体」のことを思い出した。

献体とは、死んだあとのわが身を学習のための教材として差し出し、医学の道を志す若者たちに役立ててもらう行為となる。(具体的には解剖学実習等に供される)

その旨、医学部をもつ大学に申し出れば、通常は快く登録をさせてもらえる。(大学によっては高齢者優先などの方針を定めているところもある)。

早速、筆者の住所を登録対象エリアとしているいくつかの学校を調べ、そのうちもっとも発信が丁寧だった一校を選んで献体登録した。

ちなみに、登録するにはひとつだけ、人によっては高いハードルとなるかもしれない条件がある。

それは、親族の合意だ。親や子ども、兄弟など、一定範囲内の親族・肉親による承認が登録には必要となる。

何となれば、遺体というものに対する想いにあっては、私のように素っ気ない人間ばかりが世の中にいるわけではない。献体された遺体は解剖される。本人は登録したくとも、家族から断固反対されるケースも少なからずあるそうだ。

なお、筆者の場合、そこに障害はまったくなかった。登録はスムースに了えられた。

ちなみに、その後、筆者の心には予期せぬ変化が生じた。

どういうことかというと、今後は私が死ねば、その遺体はゴミどころか大事な教材となる。

となると、私自身、この体の扱いには普段から気を付けておかねばならない。具体的には、事故に遭って多くが損じたりすると、この体は教材として使えなくなる。(水死や焼死なども同様となる)

そのため、筆者は最近やたらと路上を注意して歩くようになった。車に轢かれないためだ。

「自分の体だが、これは多少ながら公共の価値をもつ資産でもある」

目下、そんな想いを筆者は車通りの激しい道路などを渡るたびに、心に浮かべるようになっている。

ゴミからの随分な昇格となるわけだ(笑)

献体しても遺骨は戻るが…

ところで、献体をしても、実は遺骨は戻ってくる。

教材として使われた遺体は、大学側でこれを荼毘に付し、そのうえで遺骨を遺族のもとへ届けてくれる。その時期は、当人が亡くなってから2年後くらいになることが多いらしい。このとき、あらためて故人への想いを深める遺族が多いという。

とはいえ、筆者の場合、ゆくゆくはこのかたちについても別のものが選択できるようになってほしい気がしている。繰り返すが、骨など残さなくてよいのだ。

いまは、骨が戻ることを前提に、筆者は家族にはいわゆる散骨を頼んでいるが、本来はそれもわずらわしいというのが偽らざるところとなる。

ちなみに、そんな想いとも一部共通してなのか、近年、肉親等の火葬の際、「骨は残さないでほしい」あるいは「不要」と、遺族が希望するケースも増えてきているらしい。地域、あるいは施設によっては、事前の申し出があった場合、それらに対応しているところもあるそうだ。

なおその際、頼まれた側では、遺体はわずかな灰になるまで「焼き切る」か、あるいは残った骨を供養の上、廃棄物として処理する流れになるという。

ともあれ、自らの死後の処置として献体を選ぶ人のなかには、遺体や遺骨というものに対する価値観が筆者に近い人も、少なからずいることだろう。

他方、世界を見れば、最近は葬送のかたちに劇的な変化の兆しが見え始めてもいる。いわゆるエコや「SDGs」の絡みもあって、遺体を液体窒素で凍結、乾燥させたのち、粉砕して肥料化する方法や、遺体を堆肥に変えて土に還すといった新しいやり方を導入しようとする動きもたびたび耳に入る。火葬は衛生面においては優れた葬送法だが、当然ながら二酸化炭素を多量に排出する。そのため、人類が見直すべき行動のひとつにも昨今は挙げられ始めているようだ。

確実なこととして、わが国はこれからいわゆる多死社会を迎える。遺骨、遺体の扱いを含む葬送に関する価値観や常識の中には、実のところ、現在切迫感をもって転換を求められているものも多いのかもしれない。

(文/朝倉継道)

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この記事を書いた人

コミュニティみらい研究所 代表

小樽商業高校卒。国土交通省(旧運輸省)を経て、株式会社リクルート住宅情報事業部(現SUUMO)へ。在社中より執筆活動を開始。独立後、リクルート住宅総合研究所客員研究員など。2017年まで自ら宅建業も経営。戦前築のアパートの住み込み管理人の息子として育った。「賃貸住宅に暮らす人の幸せを増やすことは、国全体の幸福につながる」と信じている。令和改元を期に、憧れの街だった埼玉県川越市に転居。

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