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1964-2020東京五輪へと続く道路開発2――昭和の“遺構”を使った銀座・築地の一体開発とは?(2/3ページ)

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休止していたルートの復活と、道路の上はフタをして

休止していた計画ルート案は、勝どき橋の南側を築地市場方面へ平行に進み、そのまま現在の中央区区営築地川第一駐車場の東側へ進むので、場外を分断し、築地魚河岸の用地のなか(あるいは地下)を通る。さらに川の掘り込み跡に沿って築地本願寺裏手へ北進し、北東へ進んだ後に地下鉄有楽町線の新富町駅付近へ至る。


休止していた計画ルート案

1964年の東京五輪の開催を契機に計画がつくられたこのルートは、築地への支線との接続ポイントも開通が遅れたため、首都高晴海線(2.7km)は、300億円を投じて豊洲方面からはわずかに延伸されたが、まだ、新富町・築地まではつながらない高速道になっている。

一方で、前回オリンピックから55年あまり、バブル経済から30年あまりの時を経て、今、中央区、東京都、国交省、それに建設・管理する首都高速道路会社(旧首都高速道路公団/以下=首都高速会社)は、築地エリアで首都高の上部に人工地盤でフタをして築地・銀座をつなぐ再開発の計画の復活案を温めているというわけだ。


高速の上にある築地亀井橋公園のように高速道路の上にフタをして公園が作られる

中央区はすでに区内の首都高速会社の三吉橋―新尾張橋の約1kmにおいて、道路の上部空間を街づくりに活用可能かを調査。

行政と首都高速会社、再開発に参画する民間企業は連携して、周囲より低い部分(旧築地川など)を通る首都高路線の上部を人工地盤で覆い、首都高で分断されている築地と銀座をつなげることを考えている。関係者たちは、高速道路によって明確に分かれる銀座と築地の街を一体化する野望を抱く。とはいえ、その計画はまだ水面下の話である。

市場のなくなった築地の活性化になるか?

築地市場の豊洲移転によって、かつての賑わいがなくなってきた築地。加えて、コロナ禍によって築地のビルも空室が増えるなかでの高速道路構想は、ある意味、逆転の発想ともいえる。

構想が立ち上がってから約半世紀以上の月日を経て、首都高の上部空間を覆い、過去にあった川や運河の安らぎを、今度は高速の上の空間を利用した街づくりに使うということらしい。このことで、築地~銀座のにぎわいに相乗効果を狙うのだという。

関係者は築地にできる高速道について次のように話す。

「新しい築地の高速道は隅田川の下を通り、築地側の岸に入ってくると考える。築地魚河岸通りは地下を通って、新大橋通りを越えて銀座ランプのあたりで、既存の高速道に接続。そして、地下化する日本橋方面への接続は、新橋演舞場周辺の地下を通す選択肢がある。新橋演舞場や銀座ランプの付近は結節点としてこれから整備する」

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この記事を書いた人

経済アナリスト

マクロ経済面から経済政策を批評することに定評がある。不動産・株式などの資産市場、国や自治体の財政のバランスシートの分析などに強みを持つ。著書に『若者を喰い物にし続ける社会』(洋泉社)、『世代間最終戦争』(東洋経済新報社)、『地価「最終」暴落』(光文社)などがある。

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