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1964-2020東京五輪へと続く道路開発1――幻の地下高速「築地~新富町」ルート(3/3ページ)

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築地市場移転と東京五輪で計画復活の兆しも

64年の東京五輪の前に開通した首都高は、当時の高度成長やマイカー・ブームの勢いに乗って、五輪後もさまざまな枝線の計画が公式、非公式にたくさん練られた。この築地と新富町を結ぶ謎のトンネルもその一つだ。

2020東京五輪では首都高の湾岸線を選手村(HARUMI FLAG)の近くの晴海臨海公園まで伸び、工事もなんとか東京五輪には間に合わせた。しかし、このルートはここまでで、都心には続いていない。

実は、この湾岸線に通じる道路は、バブル経済後の93年に臨海副都心開発の1つとしてこのルートを築地、新富町方面に伸ばす構想が都市計画決定されている。その後、バブル崩壊による急激な景気の冷え込みによって、計画は止まっていた。

ところが、築地市場の豊洲移転とそれに伴う市場跡地の再開発計画、今回の東京五輪による相乗効果で、この高速と接続させるために新富町~築地間の首都高の建設着手の機運が高まり、幻の首都高が利用される可能性がでてきている。

江戸時代には、海上埋め立て地を意味した「築地」。この周辺では、旧築地川の河川をそのまま利用するかたちで、この道路が作られた。

そのため京橋~築地~汐留に至るルートは曲がりくねっている。なかでも、銀座6丁目にある新橋演舞場の裏手は大きく曲がりまるでサーキットのカーブのようだ。

半世紀前の1964東京五輪を機に急増した曲がりくねった首都高が、2020東京五輪による一大道路再開発のプロジェクトにつながる可能性がある。

そして、築地の幻の首都高速の建設が、京橋~銀座~汐留の首都高環状線のバイパスになっている「東京高速道路(KK線)」を遊歩道にする銀座の観光資源開発にもつながる可能性もあるというのだが……。

この話は次回「1964-2020東京五輪へと続く道路開発2――昭和の“遺構”を使った銀座・築地の一体開発とは?」でお伝えする。

 

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この記事を書いた人

経済アナリスト

マクロ経済面から経済政策を批評することに定評がある。不動産・株式などの資産市場、国や自治体の財政のバランスシートの分析などに強みを持つ。著書に『若者を喰い物にし続ける社会』(洋泉社)、『世代間最終戦争』(東洋経済新報社)、『地価「最終」暴落』(光文社)などがある。

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