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浅草・今昔物語 明治維新、戦争、高度経済成長、インバウンド、コロナ…… 時代に合わせて変貌を遂げた街(3/3ページ)

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今の浅草の姿と残された昔の浅草

映画産業の斜陽化とともに六区に建ち並んだ映画館の経営が悪化。時代とともに映画館は姿を消した。


浅草の映画館の模型

その跡には商業ビルが建ち、街並みの個性は褪せた。その象徴的な存在が浅草国際劇場で、1985年、その跡地に建てられたのが浅草ビューホテルだ。

ほかにも30メートル、50メートルを超えるような高層ホテル、高層マンション、商業施設が次々と建設され、浅草寺や市民は、高層建築に携わった関係者を相手に景観を守る訴訟を起こして注目された。中には浅草寺が貸していた土地にも高いビルが計画された。しかし、台東区の都市計画審議会、法廷でも寺や景観派擁護の言い分の多くは通らなかった。

今や景観は地域を支える観光産業の貴重な財産のひとつだ。だが、浅草寺の西側はグレーのコンクリートのビル群が屏風のように建ち並ぶ。浅草に住む早稲田大学講師(都市論)の川西崇行さんは、「張りぼて的な景観形成と都市計画制度失敗の見本」という。


寺の景観にビルがが入り込む

そんな中でも、昔の浅草の雰囲気を残すところもある。

浅草寺の東側の通路に建つラブホテルの一軒は、実は浅草寺の所有する土地(借地)に建つ。ホテルの前は近年、公園のような喫煙所となり、眺望が開け、「入り口が丸見え…」として知られる物件にもなっているそうだ。


寺の敷地に建つラブホテル

また、モダンアート的な建物が浅草寺の裏手にひっそりとある。明治以前から浅草寺の一帯にあった寺々が入っている建物だ。


寺マンションの入り口

小さい寺のマンションともいえるこの建物の「境内」の道はちょっと入り組んだカーブが作られ、見どころ満点だ。


浅草寺の裏手の寺々

だが、それを知らず、寺の裏手を見て回らない参拝者や観光客も少なくない。中には空襲の際に火の粉や焼夷弾から守り抜いた建物もある。

浅草は二流の街になるかに見えたが、今も昭和の匂いが感じられる場所もある。とはいえ、高層ビルや雑居ビルに取り囲まれ、古き良き日本の景観はあまり残っていない。それでも、未だにそれを感じさせるのは、ほかの街の開発スピードが速く、浅草の変化がゆっくりとしているからなのだ。

かつて浅草が変化してきたように、インバウンドによる訪日観光客によって変わりつつあった。しかし、新型コロナによって外国人観光客は激減。浅草はインバウンド需要に頼り切ったあり方を変えようと模索している。

「浅草らしさ」とは何か? 

浅草の風景はデジタルとインバウンドによって知らず知らずのうちに変えられてきた日本の縮図のようにも見える。

 

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この記事を書いた人

経済アナリスト

マクロ経済面から経済政策を批評することに定評がある。不動産・株式などの資産市場、国や自治体の財政のバランスシートの分析などに強みを持つ。著書に『若者を喰い物にし続ける社会』(洋泉社)、『世代間最終戦争』(東洋経済新報社)、『地価「最終」暴落』(光文社)などがある。

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