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第20回 昭和、平成、そして令和へ――超高層ビルの時代と東京(4/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/02/04

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武蔵野台地に出現した超高層ビル(西新宿の超高層ビル群と孤高のサンシャイン60)


写真3、現在の西新宿の超高層ビル群  写真4、モード学園コクーンタワー

西新宿が建築群として超高層ビル街となった場所は、淀橋浄水場跡地であった。淀橋浄水場の土地は、江戸時代但馬豊岡藩京極家蔵屋敷、上野館林藩秋元家抱屋敷のほか区画された旗本屋敷があった。これらが明治に入り一旦田園化する。
その後、浄水場が明治31(1898)年に竣工し、日本橋・神田方面を皮切りに東京市への通水が始まる。淀橋浄水場が廃止される時期は昭和40(1965)年。上水機能が村山浄水場に移転し、淀橋浄水場の広大な空地だけがぽつんと残る。周囲はすでにビルや住宅が建ち並ぶ市街地となっていた。その敷地に近未来都市を思わせる超高層ビル群がその後に林立していく。

西新宿の超高層ビル群は、最初に京王プラザホテル本館が1971年に開業して以降、現在40棟近くの超高層ビル群が西新宿に建つ(写真3)。西新宿の現代都市風景は、建築群として異彩を放つだけではなく、それぞれがほとんど関係性を持たない個性的な個の集合体のように見える。まるで、超高層ビルの展示場のようだ。三角形の新宿住友ビル(210m、1974年)をはじめ、東京都庁第一本庁舎、モード学園コクーンタワー(204m、208年)などが次々と建てられていき、200mを超える東京の超高層ビル時代を新宿西口のビル群が牽引した(写真4)。しかし、この時代には都心の官庁街やビジネス街と離れすぎているとの話がよく囁かれた。そのこともあり、超高層ビルの開発は新宿西口を特異例として、後には超高層ビルの建設は都心に向けられていく。


写真5、ホテルグランドパレスの客室から池袋を望む

西新宿の超高層ビル群と対照的な現代風景に、東池袋三丁目にあった巣鴨拘置所(巣鴨プリズン)の跡地に建てられたサンシャイン60がある。江戸時代は巣鴨村だった。西新宿の超高層ビル群と異なり、サンシャイン60はいつまでも孤高に建ち続けた。そのような池袋に、1999年210mの豊島清掃工場が上池袋に建設された。超高層ビルではないが、高さでは超高層ビルの16番目と17番目の間に相当する。

池袋での超高層ビルの出現は、平成23(2011)年にサンシャイン60の南東側近くにアウルタワー、平成27(2015)年に南西側近くに豊島区役所が入るとしまエコミューゼタウンが建つことで、複数の超高層ビルが池袋に立地する(写真5)。いずれもが高さ189mで、40番目と41番目であり、200mを超えていない。それでも、池袋は複数の超高層ビルが寄り合う都市風景を描きはじめるようになった。

注:超高層ビルの高さの順位は、2018年9月時点の状況である。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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