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まちと住まいの空間13回【宮城県・雄勝半島】

本家と分家、そして自然災害――その関係からかたちづけられた町の姿(4/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/07/01

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屋号が「ウシロ」の阿部家(K-E系列)は、「ニイヤ」の屋号阿部家(K-F系列)が本家であるが、現在分家を出す本家として扱われてきた。これらの屋敷の位置を確認すると、阿部家(K-E系列)は阿部家惣本家「カミノエ(K-A系列)」の背後の土地に屋敷があり、分家もK-A系列の西隣に隣接して屋敷を構える。一方阿部家(K-F系列)は集落を貫く沢を隔て、阿部惣本家「オエノエ(K-B系列)」の向かいに屋敷がある。現在、この分家は昭和8(1933)年の地震津浪で山側に移っているが、以前はもう少し海に近い場所に屋敷があったという。K-F系列の分家は、K-B系列の分家に近く、集落を貫く沢沿いに立地する。K-B系列の分家と比べると居住環境はあまり良くない。

旧家6軒のエリアは、五十鈴神社を背にして、集落を貫く沢の下流にコンパクトに集落を構成する。それぞれの屋敷の位置関係を改めて検証すると、屋号が「ウシロ」の阿部家(K-E系列)は阿部家惣本家、屋号「カミノエ(K-A系列)」の屋敷裏にある土地を分けて分家した可能性がある。「ニイヤ」の阿部家(K-F系列)は、漁を主導的に行う上で、K-C系列の藤井家惣本家、K-B系列の阿部惣本家とともに、海に近い絶好の場所を占めてきた。K-B系列の阿部惣本家が沢の南側に早期に分家を出したと考えられる。また、K-F系列の阿部家は、分家の立地環境が劣るが、K-B系列の阿部惣本家の分家と似た分家の出し方をしていることから、土地所有上の関係があったのかもしれない。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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