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まちと住まいの空間13回【宮城県・雄勝半島】

本家と分家、そして自然災害――その関係からかたちづけられた町の姿(3/4ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/07/01

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図2、熊沢浜の本家と分家の関係

明治に入って最初に編成された全国的戸籍の壬申(じんしん)戸籍によると、明治5 (1872年壬申) 年時点では熊沢浜全戸が10 戸あり、その内訳は藤井姓が4戸、阿部姓が5戸、菅原姓が1戸と記されている。本家の数を引いた分家は、藤井家が3戸、阿部姓が旧家の2家を仮に惣本家の分家とした時、1家を加え合わせて3戸となる。菅原家に分家が見られないことから、分家は計6戸となる。惣本家、あるいは本家筋にあたる家は、集落を貫く沢の西北側斜面地下に集住する(図2)。


写真4、五十鈴神社と津波で流された本家の敷地(海側が藤井家惣本家)

地形形状からは、海に近い、少し高い場所に本家が集住した。2011年に起きた3.11の地震津浪では、本家といわれる家が津波で壊され、五十鈴神社の宮守である藤井家惣本家も家が流された(写真4)。ただ、本家は自然環境に対してリスキーな場所を好んで選択していたわけではない。400年以上も永々と家を守り続ける立地環境に本家の家はあった。3.11では、長い間の自然との兼ね合いで成立していた立地の環境を遥かに越える出来事といえる。

本家から分家する流れ


図3、本家と分家の関係(藤井系列)

ヒアリング調査から、藤井家惣本家はこれまで熊沢浜に9軒の分家を出していることが確認できた。一方の阿部家惣本家の2家から出た分家だが、内陸側にある阿部家惣本家、屋号「カミノエ(K-A系列)」が2軒、海側にある阿部惣本家、屋号「オエノエ(K-B系列)」が6軒の分家を出していた。惣本家の3軒に関する分家先の特徴は、2つの沢の上流が居住場所となっていることだ。藤井家惣本家の分家の立地先は集落の北側を流れる沢に沿った上流に集中する(図3)。


図4、本家と分家の関係(阿部系列)

阿部姓の惣本家2家は、阿部家惣本家の屋号「カミノエ(K-A系列)」からの分家が集落内を抜ける沢の下流、阿部惣本家の屋号「オエノエ(K-B系列)」からの分家が集落内を抜ける沢の上流に住み分けるように分布した(図4)。ちなみに、阿部家(K-B系列)が沢の東南側の斜面地に分家することになるが、ここにも井戸が掘られており、水に恵まれた場所であった。また、熊沢において傍流的存在の菅原家惣本家である屋号「スガサマ(K-D系列)」の分家は、阿部惣本家である屋号「オエノエ(K-B系列)」の分家から、さらに北西斜面を上がった、生活する上で環境条件の悪いエリアを居住地とした。分家先が好立地かどうかで、浜での立場の違いがある程度理解できる。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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