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まちと住まいの空間11回【三陸のまちと住まい編 3】

大須浜の祭に受け継がれる「家」の役割(2/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/05/30

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大きな見せ場だった「海中渡御」


海中渡御する神輿

翌日(旧暦3月15日)朝、神事を終えた宮司が社殿から顔を出し、神社の正面入口前に置かれた神輿に御神体を移す。その瞬間、境内に集まった人たちは一斉に神輿に向かって頭を垂れる。祭の開始の狼煙が上がり、御神体の入った神輿が八幡神社の境内を「チョーサイ、ヨーサイ」と掛け声をかけて勢いよく右へ左へと大きく動きはじめる。神輿を高く押し上げ、神輿を「もむ」動作が繰り返される。

神輿が境内でもまれた後、宮司や宮守を先頭に、宮守の血縁者が担当する猿田彦命、氏子総代や祭典係が榊や供物、神輿を寄進した阿部源左衛門直系の現当主とその血筋の者が龍の鏡と紙垂を垂らした棒のようなものを2本差した龍の座する台を持って浜の港に向かう。現在の神輿は、当時大須浜で廻船によって隆盛を極め、肝入を務めていた阿部源左衛門が文久3(1863)年に深川でつくらせ、持ち帰ったとされる。このこともあり、阿部源左衛門家は宮守家が中心の祭の重要な役割が与えられてきた。

大須浜で神輿の最大の見せ場は海中渡御である。雄勝十五浜で唯一海中渡御を行う。神輿は、以前ちづり島(キツネ島)と呼ばれる八大竜王を祀る場所まで、大潮で海水が引いた海を歩いて渡った。だが現在は、3.11の地震により海底が地盤沈下した影響で、大潮の時期も潮が引かなくなった。2014年はちづり島に近い岸壁で神輿を休ませ、祝詞をあげることになった。そこで獅子舞も奉納された。奉納が終わると、神輿が海に入る(写真2)。2014年の海中渡御は、地盤沈下の影響から神輿の担ぎ手が首まで海水に浸かる。「チョーサイ、ヨーサイ」とかけ声をかけ、海水の冷たさに負けないように気合を入れる。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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