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まちと住まいの空間

第9回 京都府伊根町――山の稜線に包まれ内海の風景(3/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/02/27

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町並みの進化


写真5、海側に位置する舟屋と蔵

伊根は、1932年の道路拡幅工事の時、土蔵、米蔵、舟屋を海側に移動させた(写真5)。戦後になると、建物の建て替えが促進する。江戸時代の建物が少ないだけでなく、母屋と舟屋の半数近くが戦後に建てられた。ただ、地元の人が「ニワ道」と呼ぶ不思議な名前の新しい道は一挙に敷地内の生活空間の中央を貫いたわけではない。母屋、庭、蔵、舟屋で構成される敷地内空間のあり様は健在だった。


写真6(上)、生活がにじみ出るニワ道  写真7(下)、ニワ道を挟んで建つ母屋と蔵

日の光をたっぷりと浴びたこの道は、旧道と違い、村落を越えることがなかった。網を干したりする私的な「庭」のように、あるいは集落内でのコミュニケーション伝達のツールとして、お互いの敷地内の庭を連続的に結びつけ、「ニワ道」に発展させた。この道を歩くと、今も小魚や畳などを干す風景に出会う(写真6)。同じ日本海に位置する三国の通り土間とは異なる。山裾がすぐ海に迫り、平地がほとんどない、厳しい自然条件から発想された独自の敷地内空間を生み出したように思う。しかも、「ニワ道」があることで、母屋から水際にある蔵と舟屋を空間的に連続させることも可能にしている(写真7)。

伊根を訪れると、舟屋のある風景にあまりにも心を奪われがちである。しかし、伊根がより伊根らしくあり続けてきたのは、一戸一戸が独立して成立する舟屋の存在とは異なる、海に向けられた建築群の一体感、村を支える神と水に誘う旧道の存在感、個と全体を有機的に結びつける「ニワ道」の自在感があったからにほかならない。それらの空間には、複雑な自然と暮らすとともに、自然と折り合う共同体のやわらかな根が組み込まれている。だからこそ、伊根は近代という猛烈な波に飲み込まれて個性を失ってきた多くの都市や町の生き方とは違う。変化しながらも伊根らしい空間の魅力をさり気なく、それでいて力強く維持し続けることができたのだといえる。

 

 

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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