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まちと住まいの空間

第8回 新潟県佐渡市――船大工がつくりあげた港町・宿根木(2/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/01/18

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写真3 別世界をつくりだす豊かな内部空間(写真撮影:石渡雄士)

外部とは異なる豊かな内部空間

建物の内部に目をやると、光を最大限取り入れる工夫が見受けられる。外部空間からの印象が一変し、別の魅力が増す。現在展示空間として解放されている「清九郎」の住宅の中へ入った時の驚きは大きい。土間から上がった「オマエ」と呼ばれる居間は、二階部分が吹き抜けた大きな部屋である(写真3)。天井下には十字に組んだ梁が船体の構造体のように力強さを伝えている。中央には囲炉裏が切られ、そこに座ると、吹き抜けの高い位置にある窓からふんだんに光が差し込み、開放感にしたれる。生漆で塗られた鴨居、帯戸、床板。それらに光があたり、光沢を放つ。住宅内部の空間には、仕組まれた技で厳しい環境を瞬時に遮断し、暖かみのあるゆったりとした時間が過ぎる。自然の海と対峙する船大工の手がけた大胆で精巧な家なのだ。


写真4 三角の家(写真撮影:石渡雄士)

「三角家」と呼ばれる不整形で、曲線を描く建物には、船を造る船大工の意気込みが伝わる(写真4)。厳しい自然環境において、持続可能な空間のあり方を探求した都市空間のかたちである。現代では、どれもこれも似たり寄ったりの表現しかできない緊張感のなさに、宿根木の建築群は時代を乗り切りながらメッセージを発する。


写真5 崖下につくられた共同井戸(写真撮影:石渡雄士)

都市空間の仕組み

集落を貫くように称光寺川が流れる。その両側の護岸は石積みで、所々に洗い場が設けてある。生活と密接に関わり続けた川とわかる。ただ弘化3(1846)年には、洪水で死者5人、家屋の損壊50軒の大惨事を起こしてもいる。この2つのことから、宿根木の都市空間の仕組みが少し見えがくれする。

宿根木には、14世紀前半から続く古い寺社が現在も残り続ける。古い石橋が架けられた川の奥にある白山権現は、嘉元2(1304)年開基とされ、社殿に寛文元(1661)年の棟札が残る。棟札は、河村瑞賢が寛文12(1672)年に西廻り航路を開き、小木が公式に幕府の寄港地として定められ、繁栄する以前の時代。廻船で繁栄した時代の証人である。寺院は、称光寺川を挟んだ東側に位置する。称光寺の開山は、遊行七祖他阿上人託阿大和尚が貞和5(1349)年に本堂が建立したことにはじまった。佐渡時宗最初の根本道場として知られ、佐渡四国7番札所でもある。この寺には、39歳で亡くなった地理学者・柴田収蔵が永眠する。医学も習得した英才だが、地理学への志を捨てきれず地図づくりに没頭した。港町である宿根木の風土が人格を育てたのだろうか。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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