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井伊家――家祖登場は平安時代、伝説の多い譜代大名筆頭の名門

菊地浩之菊地浩之

2021/08/08

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井伊家ゆかりの彦根城/©︎NT(城・城跡愛好家)

井伊直弼が大老になれた理由

NHK大河ドラマ『青天を衝け』ではすでに出番を終えた井伊直弼(なおすけ/演:岸谷五朗)だが、幕末期において、幕閣の中でも最も有名な人物の一人である。

Ii Naosuke
井伊直弼像 狩野永岳筆 彦根城博物館蔵 万延元年(1860年)

直弼は江戸幕府で大老に任じられ、将軍継嗣問題では13代将軍・徳川家定(演:渡辺大知)の意を汲んで、紀伊藩主・徳川慶福(のちの家茂/演:磯村勇斗)を14代将軍に据え、日米修好通商条約を締結。横浜を開港。反対派を安政の大獄で弾圧し、桜田門外の変で暗殺される。

ドラマでは軽く見られがちな老中も、江戸時代はかなり権威のある役職だったらしい。その上の大老ともなると、もう事実上の「王様」状態である。直弼が大老に就任できたのは、本人の人格見識もさることながら、譜代筆頭の名門・井伊家の生まれだったからである。

家祖誕生にまつわる伝説

井伊家は11世紀初頭から遠江国引佐郡井伊谷(とおとうみのくに・いなさぐん・いいのや/静岡県浜松市北区)を治めていた。主君の徳川家よりも歴史ある名門家系である。

井伊家については2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公・井伊直虎(演:柴咲コウ)の実家としても有名である。

『おんな城主 直虎』ではしばしば井戸に集まる場面が出てきた。

井伊家の家祖・井伊共保(ともやす/1010~1093)は八幡宮の井戸で発見され、井伊家の養子になったという伝説があるからだ。「共保」という名前は「井伊」という字に似ており、想像上の人物であろう。井戸で拾われたという逸話も「井伊」を想起させる。

南北朝時代、井伊家は南朝につき、北朝側の今川家に攻められ、自重を余儀なくされた。さらに戦国時代に駿河守護・今川氏親(義元の父)が遠江を侵略すると、井伊家は敗退。再び雌伏の時代を迎える。

氏親の死後、今川家に家督相続争いが起きると、井伊直平(演:前田吟)は今川義元(演:春風亭昇太)について勝ち組に乗り、義元に臣従して遠江での地歩を固めた。ところが、孫の井伊直盛(演:杉本哲太)が桶狭間の合戦で討ち死に。その跡を継いだ直盛の従兄弟・井伊直親(演:三浦春馬)は徳川家に内通したと疑われ、今川の家臣によって討たれてしまう。

直親の死後、直盛の一人娘で直親の婚約者だった次郎法師が井伊直虎と称し、「女地頭」として家督を継いだというのが『おんな城主 直虎』のストーリー展開だった――。

ところが折も折、その放映直前に、井伊家の分家・越後与板藩主の子孫・井伊達夫氏が、彦根藩家老が記述した覚え書きの記述から、直虎が男性であることを突き止めた。NHKにとっては、えらく迷惑な話であるが、古文書をもとに得られた事実であるでしょうがない。

家康の側近中側近 「赤鬼」井伊直政

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井伊直政像 根城博物館所蔵品

話が少々脱線したが、直親の死によって遺児・虎松(のちの井伊直政/演:菅田将暉)も殺される危機に直面するが、親族の助命嘆願により、僧籍に入れることで一命を取り留める。

浜松で鷹狩りをしていた家康は、15歳の虎松を見かけて召し抱えた。そして、虎松が名門・井伊家の遺児であることを知り、井伊万千代と改名させ、旧領を復して井伊谷を治めさせたという。

天正10(1582)年6月に本能寺の変が起こり、家康が伊賀越えの危機に遭った時、井伊万千代は小姓の一人として従った。岡崎に戻った後、家康は甲斐・信濃侵略に動き、同年8月に北条氏直と甲斐国若神子(わかみこ/山梨県北杜市)で対陣。同年10月に和議を結ぶが、この時、家康が派遣した使者が万千代だった(その直前に元服し、直政と改名)。

その政治的な手腕は高く評価されていたようで、甲斐武田旧臣を徳川家臣団に組み込む際に、直政は奉行人として活躍している。

家康は武田旧臣117人を直政の与力に附け、自らの近臣3人を直政の直臣とした。直政軍の主力は武田旧臣で構成されていたが、旧武田軍では飯富虎昌(おぶ・とらまさ)・山県昌景(やまがた・まさかげ)兄弟が率いた「赤備え」(あかぞなえ)が有名だった。

家康はこれにあやかって、直政附属の士を全身朱色の甲冑とさせ、「井伊の赤備え」に再編成した。小牧・長久手の合戦が起こると、勇猛果敢な井伊の赤備えは評判となり、直政は「赤鬼」とあだ名されるようになった。

小田原合戦後に家康が関東に転封となると、直政は譜代筆頭の上野国箕輪(群馬県高崎市箕郷町)に12万石を賜った。関ヶ原の合戦では、家康の四男・松平薩摩守忠吉(直政の娘婿)に附いて先陣を切ったが、島津軍の敗走を追って鉄砲傷を受けた。関ヶ原の合戦後に直政は近江国佐和山(滋賀県彦根市)18万石に転封された(のち35万石)。西国で事が起こった際、先陣を務めるべく、徳川家臣では当時もっとも西に配置されたのだ。

現当主は井伊家400年ぶりの婿養子

直政の妻は、東条松平家の家老・松井松平忠次(一般には康親)の娘である。

松井松平忠次は猛将で、絶えず徳川軍の東境に配置され、武田家や北条家と対峙した。家康は直政を忠次の後継者と考えて、その娘婿にしたのだろう。東条松平家の当主が嗣子なくして死去すると、四男の忠吉を養子として、忠次の孫娘(直政の娘)を嫁がせている。先鋒を務めていた東条松平家-松井家を、婚姻によって忠吉-井伊家コンビに置き換えたのだ。

直政には長男・井伊直勝(正室の子)と、次男・井伊直孝(側室の子)がいたのだが、長男・直勝が病弱なので廃嫡し、次男・直孝を後継者としている。

「家督継承が面倒になるから、正室はもらうな」と言い残したという伝説があり、3代・直澄(なおずみ)、4代・直該(なおもり)、6代・直恒、9代・直禔(なおよし)には正室がいない。

井伊家は江戸開府以来、一度も転封を経験したことがない。譜代大名としては珍しい家系である。それは、譜代筆頭として先鋒を承るからだといわれている。そのため、他家からの養子を迎えることがタブーとされ、現当主・井伊直岳氏(なおたけ)が井伊家400年の歴史で初めての婿養子だという。これも井伊家の伝説の一つである。

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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