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偉大な神学者とエルキュール・ポワロに共通する興味深い事実

ドラマ、小説で描かれる「正義」の殺人と現実の「正義殺人者」(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2022/02/22

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優秀なキリスト教神学者であるボンヘッファーを決意させた理由

中村主水やポワロと異なり、ボンヘッファーは実在した人物である。

彼はヒトラー暗殺事件に加担していた。この事件は「7月20日事件」と呼ばれ、1944年7月20日に、ドイツ総統アドルフ・ヒトラーの暗殺とナチ党政権に対するクーデターを企図したものの、失敗に終わった。ボンヘッファーはこの事件に加担していたため、逮捕され、ドイツ敗戦の直前の時点で処刑された。

Bundesarchiv Bild 146-1987-074-16, Dietrich Bonhoeffer
ディートリヒ・ボンヘッファー 出典/Wikipedia

問題は、ボンヘッファーが並外れて優秀なキリスト教神学者であり、イエス・キリストの「汝、殺すなかれ」を金科玉条とする彼が、なぜ、対象が悪辣きわまりない独裁者とはいえ、他者を殺害する計画に加担したか、だ。

ボンヘッファーがあえてヒトラー暗殺計画に加担した理由は、ヒトラーの行為が倫理的、神学的に、とうてい許されないと考えたからだった。そして、そのようなヒトラーの行為を、「汝、殺すなかれ」という金科玉条を盾にとって、何もせず、ただ傍観しているだけのキリスト教会はまちがっていると考えたからだった。もちろん、当時のドイツで施行されていた世俗の法によって、罪を問えないのは言うまでもない。

しかし、人を殺すという行為は、その対象が誰であれ、キリスト教信仰をもつ者には許されないはずだ。ボンヘッファーの関心も、この点にあった。

彼は、こう述べている。

「歴史的行動において究極的なことは、永遠の法則であるのか、それともすべての法則にさからって――しかし神の前でなされる――責任を負おうとする自由な行動であるのかという決定的な問いに対しては、理論的には答えは与えられない。……この究極的な問いは、(理論的には)未解答のままで残されており、また残されなければならない。なぜなら、いずれにしても人間は罪を犯すからであり、またいずれにしても人間は、ただ神の恵みと赦しによってのみ生きることができるからである。法則に結びつけられている者と、自由な責任において行動する者とは、互いにほかの告発を聞き、またそれを受けいれなければならない。誰も互いにほかに裁き主となることはできない。裁きは、常にただ神の御手にゆだねられる」

最後の「裁きは、常にただ神の御手にゆだねられる」という一言は、文字どおり一神教ならでは文言である。要するに、ボンヘッファーにとって、人間による裁き、すなわち世俗の法による裁きは、もはや問題ではない。仮に、人間観の取り決めにしたがって、その行為が罪だと判定されても、それは究極の答えではない。最終的な解答は信仰の領域でしか、得られないというのだ。

この思想は、ポワロと通じる。偉大な神学者と大衆的な人気を博した推理小説の主人公が、思想を共有しているのである。これは実に興味深い事実だ。

もちろん、日本でも、中村主水のように、世俗の常識だけが判断基準だったとは言い切れない。宗教的な方向から、世俗の法を超えて、殺人を正当化した事例がなかったわけではないからだ。

たとえば、浄土真宗の祖、親鸞が最晩年の著作において、「正法を誹謗中傷する者は暴力をもって滅すべきである」と述べている。また、戦前の右翼団体「血盟団」の指導者だった井上日召(1886~1967)が主張した「一殺多生」、つまり「要人一人を殺すことで、その他の大勢の一般国民が救われる」という思想がある。今回は紙幅が許さないが、今後、機会があれば、論じてみたい。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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