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まちと住まいの空間 第22回 1世紀ターム変貌する丸の内――高層化と美観論争(3/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2020/04/07

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丸の内の超高層ビル建設の時代

平成12(2000)年以降、丸の内の建て替えを促進させた背景としては、現行の容積率(1000%)に文化的な貢献、近代建築の保存などをすることで、容積のボーナスを与えられたことがあげられる。さらに、東京駅の保存再生が具体化しつつある時、東京駅上の余っている容積の売買により、文化的貢献をしなくともより高いビルが建てられるようになった。

丸の内が本格的な超高層ビル群の都市景観に変貌する先駆けは、平成14(2002)年に竣工した丸の内ビルディング(以下「丸ビル」、179m)の建て替えであった。丸ビルの建て替えを皮切りに、その後新丸の内ビルディング(198m、2007年)、大手町のJAビル(280m、2008年)、東京中央郵便局の建物を一部保存したJPタワー(200m、2011年)と、空中権の売買を利用した超高層ビルが次々と建ち、丸の内の都市景観を大きく変貌させていく(写真5)。ただし、お濠端に面して新築した東京会館が入る丸の内二重橋ビルディング(以下「丸の内二重橋ビル」、高さ150m、2018年竣工)は、東京駅に近い側で160m以上の超高層ビルが高さを競うなかで、皇居を意識したのか、高さが抑えられた。

写真5、新丸の内ビルディング

重要文化財である明治生命館の保存とセットに、その背後の超高層ビル化が2004年に図られた。明治生命館を保存して建てられた丸の内マイプラザ(高さ147m)である。2009年には三菱一号館の復元とセットに超高層ビルの丸の内パークビルディング(高さ157m)が建つ。この2つのビルを比較すると、建物高さで10mの違いがある(写真6)。丸の内マイプラザ、丸の内二重橋ビルは建物高さが抑えられており、今後の丸の内における都市景観のあり方に大きく影響する可能性がある(写真7)。

写真6、明治安田生命館と背後の超高層ビル

写真7、お濠端の街並み

丸の内での興味深い試みは、再開発によって一挙に超高層ビルを建設し、都市空間を再構築していないことだ。2002年の丸ビル建て替えから20年近くが経過した。その間に、多くの超高層ビルが誕生したが、建物高さ百尺(約31m)のビルも多く見かける。丸の内は、一世紀のタームで都市空間の更新を考えていると聞く。三菱が主導する丸の内だからこその発想だが、都市景観を時間軸の中で描こうとする試みは興味深い。

建築の超高層化は、技術の進歩とともに高さを増している。7年後には東京駅前常盤橋プロジェクトB棟(390m 、2027年)が300メートルを遥かに超え、11代目の最高高さの新記録ホルダーとなる。東京駅前常盤橋プロジェクトB棟は400メートルに迫る高さに到達し、電波塔の東京タワー(333m 、1958年)を上回る。今から30年以上も前のバブルの時期に、大手建設会社が描いた300mを超える超高層ビルのスケッチが現実のものとなろうとしている。

 

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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