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因果はめぐる? 地味に引き継がれてきた織田信長直系の意外な血脈(2/2ページ)

菊地浩之菊地浩之

2019/07/19

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巡りめぐった歴史の因果?

先ほどからの流れで、当然、「では、平野長興は本当に長泰の血を受けた子孫なのか。実は養子ではないのか」という疑問が沸く。平野長興は養子ではないのだが、長興の祖父・平野長里は婿養子である。平野長里の実父は内田正偏(まさゆき)という。

では、内田正偏とは何者なのか。そして、内田家とはどんな家系なのか。

内田家は遠江国(とおとうみのくに)内田郷を発祥とし、内田正成は今川義元・氏真に仕えたが、1568年に氏真が武田信玄に駿府を追われ、懸川城に逃げのびると、徳川家康の家臣となった。その子・内田正世(まさよ)は秀忠の小姓となり、800石を与えられる。正世の次男・内田信濃守正信は家光の小姓となり、側近として出世。下野鹿沼に1万5000石を与えられ、家光の死後、殉死をとげた。家光は同性愛者だったから、そうした関係があったのだろう。

その正信の曾孫が内田信濃守正偏である。ちなみに正偏は夫人に傷を負わせて(いまでいうDVで)領地を削られ、下総小見川藩1万石に転封され、子孫は代々小見川を領した。つまり、織田家18代目・信孝氏の先祖は旧今川家臣の家柄で、家光の男色の相手として大名に登用された内田正信なのである。実に地味な先祖である。

信孝氏は歴史雑誌『週刊朝日ムック 武将の末裔――子孫52人の秘話と秘宝』で「初対面の人が僕の出自を知ると、『すごいですね』とよく言います。ぜんぜんすごくないですよ。すごいのは信長で、僕が天下統一のお手伝いをしたわけじゃない(笑)」と謙遜されておられるが、実際は内田正信の子孫なのだから、謙遜したくなるのも無理はない。

ちなみに、フィギュアスケートの選手・織田信成は織田信長の子孫(信長の7男・織田信高)を名乗っているが本当なのだろうか。

信成の父親が公表した家系図によれば、初代・信高から9代の信真までを掲げ、信真から信成の祖父までを省略している。その間は個人情報の関係で伏せているとのことだ。ただし、信高から信真までの系図は図書館で調べられる範囲なので、少々歴史の知識があれば誰でも書ける。なので、余り信用ならない。

 

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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