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「家」の研究――徳川慶喜家②

最後の将軍・徳川慶喜と有栖川宮家と高松宮家の深いつながり(2/2ページ)

菊地浩之菊地浩之

2019/06/12

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威仁親王は大いに喜び、外孫にあたる女児を将来、高松宮王妃に迎えるように希望した。それが徳川慶久の次女・喜久子である(長女は早世)。高松宮家は、有栖川宮家の血を引く慶喜家から妃を迎えることで、血脈的にも継承されることになったのである。

慶喜家の4代目・徳川慶朝(1950~2017)はカメラマンである。NHK大河ドラマで「徳川慶喜」が放映された1998年、慶喜家の当主だったため、雑誌などで紹介された。

慶朝は離婚して子どもは母方の姓を名乗っているので、慶朝の死で徳川慶喜家は「無嗣廃絶」になってしまったようだ。

 

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この記事を書いた人

1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。

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