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仏壇のはなし

まつり方、起源、霊魂はどこいるのか?(2/2ページ)

正木 晃正木 晃

2019/04/23

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霊魂はどこにあるのか?

この種の話をしていると、こんな質問をよく受けます。
「ご先祖様をはじめ、亡くなられた方の霊魂の居場所は、浄土(あの世)なのか、お墓なのか、仏壇(位牌)なのか」という質問です。またお盆やお彼岸になると、「もともと暮らしていた家に戻ってくるといいますが、ふだんはどこにいらっしゃるのか」という質問もあります。

外国はさておき、日本仏教の伝統的な考え方では、浄土(あの世)とお墓と仏壇(位牌)にいらっしゃるというのが、その答えです。要するに、どこか一箇所にではなく、三箇所に同時にいても、全然かまわないのです。曖昧といえば、まことに曖昧ですが、このゆるさが実に日本的とも言えます。

お墓と位牌にたいする思いの強さは、日本仏教独特と言っても良いくらいです。この点は、東日本大震災のような大きさ災害に遭遇したときに、あらわになりました。その証拠に、一刻を争う緊急事態でも、とにかく位牌だけは持ち出したいと願う傾向は、とくに高齢の方々に顕著だったのです。

仏壇が家に置かれた理由とは?

いま家々に安置されている仏壇は、正しくはずし厨子型仏壇といいます。厨子は仏像をおさめる容器、つまり仏殿を意味します。さきほど仏壇はお寺の本堂のミニチュア版と述べましたが、さらに正確を期すと、中世の武士の館などで、氏仏とか守護仏とよばれ、その一族を守護してくれる特定の仏像をおまつりする持仏堂のミニチュア版です。ですから、この厨子型仏壇は、お寺の本堂とその内部に設置された仏殿を縮小したものとみなして良いとともに、先祖供養と分かちがたく結びついていたのです。

また仏壇の起源を、お盆の期間中、家に帰ってくるご先祖様の霊魂を迎えるためにもうけられる精霊棚(しょうりょうだな)に求める説もあります。臨時の祭壇が、仏壇というかたちで、常設の祭壇に変化したというわけです。いずれにせよ、仏壇と先祖供養が当初から、深いかかわりがあったことは疑えません。

厨子型仏壇が普及したのは、江戸時代の元禄ころといいますから、17世紀の終わりから18世紀の初めです。その背景には、先祖をきちんと供養しない者は、キリスト教など邪教の信奉者とみなされ、摘発されかねないという事情もありました。また庶民もある程度の経済力をもち、仏壇を買えるようになったことも大きかったと考えられています。

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この記事を書いた人

宗教学者

1953年、神奈川県生まれ。筑波大学大学院博士課程修了。専門は宗教学(日本・チベット密教)。特に修行における心身変容や図像表現を研究。主著に『お坊さんのための「仏教入門」』『あなたの知らない「仏教」入門』『現代日本語訳 法華経』『現代日本語訳 日蓮の立正安国論』『再興! 日本仏教』『カラーリング・マンダラ』『現代日本語訳空海の秘蔵宝鑰』(いずれも春秋社)、『密教』(講談社)、『マンダラとは何か』(NHK出版)など多数。

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