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まちと住まいの空間【三陸のまちと住まい編1】

第10回 雄勝十五浜と廻船で江戸と繋がる浜の名主たち(3/3ページ)

岡本哲志岡本哲志

2019/03/27

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地域に色濃く残る名主の影響力

4代目阿部源左衛門は、1830年代に起きた天保の大飢饉の時、貸金などの融通を行う。そのことが阿部家に残る184点の借金証文でわかる。そのうち、全体の32パーセントが地元大須浜、53パーセントが周辺エリアと、身近かな人たちに手厚く融資した。「お月様より殿様よりも大須旦那は有り難い」と謳われ続けたことが『雄勝町史』に記されており、多くの人に頼られた人物であった。阿部姓の家は三陸全体に分布する。そのなかでも、大須浜は阿部姓の名が圧倒する(図3)。地元の人たちにいろいろと話を聞いていくうちに、明治に入り武士以外でも姓を名乗れるようになった時、阿部姓を選んだ人が続出し、大須浜では阿部姓が圧倒的な割合を占めるようになったようである。4代目阿部源左衛門の影響力の強さを感じる。


写真3、現在も祭の時に担がれる江戸時代の神輿

現在、祭に使われている神輿は、文久3(1863)年に製造されたものである(写真3)。当時大須浜で廻船によって隆盛を極めていた4代目阿部源左衛門が深川でつくらせ、持ち帰ったとされる。肝入を務めていた阿部源左衛門が神輿を寄進したことから、宮守家の佐藤家宗家の氏神である八幡神社の祭では、阿部宗家の第一別家である阿部源左衛門家に祭の重要な役割が特別に与えられてきた。

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この記事を書いた人

岡本哲志都市建築研究所 主宰

岡本哲志都市建築研究所 主宰。都市形成史家。1952年東京都生まれ。博士(工学)。2011年都市住宅学会賞著作賞受賞。法政大学教授、九段観光ビジネス専門学校校長を経て現職。日本各地の土地と水辺空間の調査研究を長年行ってきた。なかでも銀座、丸の内、日本橋など東京の都市形成史の調査研究を行っている。また、NHK『ブラタモリ』に出演、案内人を8回務めた。近著に『銀座を歩く 四百年の歴史体験』(講談社文庫/2017年)、『川と掘割“20の跡”を辿る江戸東京歴史散歩』(PHP新書/2017年)、『江戸→TOKYOなりたちの教科書1、2、3、4』(淡交社/2017年・2018年・2019年)、『地形から読みとく都市デザイン』(学芸出版社/2019年)がある。

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