阿部家――江戸幕府老中を多々輩出した名門のはじまりと維新の生き残り(3/3ページ)
菊地浩之
2021/09/19
阿部家当主が代々家老を務めるようになったはじまり
江戸幕府の老中が制度として発足・定着したのは、3代将軍・徳川家光の頃らしい。
家光は側近6人に政務を任せ、かれらは「六人衆」と呼ばれ、のちの若年寄の原型となった。その6人とは松平信綱、堀田正盛、太田資宗(すけむね)、三浦正次(まさつぐ)、阿部重次(しげつぐ)、阿部忠秋である。このうち太田を除く5人が老中に昇進した。
三浦正次は三浦姓を名乗っているが、阿部正勝の長男で、阿部重次は正次の長男。阿部忠秋は正勝の次男・阿部忠吉(ただよし)の次男である。つまり、「六人衆」のうち、3人が阿部家の人間だったということだ。先例重視の江戸幕府では、阿部家の当主が代々老中を務めた。
維新にあたっての名門の生き残り策
時代は降って幕末。
阿部正弘には嗣子がなかったので、甥・阿部正教(まさのり)を養嗣子としたが、わずか4年後の1861年に死去。跡を継いだ実弟・阿部正方(まさかた)も1867年11月にわずか19歳で死去してしまい、無嗣廃絶の危機に瀕した。
その前月、15代将軍・徳川慶喜(演/草なぎ剛)が大政奉還したばかり、明治新政府は阿部一族以外から養子を迎える条件で、阿部家の存続を許した。薩長藩閥としては歴代老中を輩出した阿部家の勢力をそいでおきたい思惑があったのだろう(阿部家の発案という説もある)。
かくして、正弘の6女・寿(ひさ)に広島藩浅野家から婿養子・阿部正桓(まさたけ)を迎え、1868(明治元)年7月に家督相続を果たした。
阿部家としては、女系でもいいから血筋が繋がることを期待して、正桓を婿養子にしたのだが、寿が男子を得ぬまま死去してしまう。そこで、正桓の子・阿部正直には阿部一族から妻を迎え、やっと阿部家の血筋を残したという。
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この記事を書いた人
1963年北海道生まれ。国学院大学経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005-06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、国学院大学博士(経済学)号を取得。著書に『最新版 日本の15大財閥』『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』『徳川家臣団の謎』『織田家臣団の謎』(いずれも角川書店)『図ですぐわかる! 日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)など多数。