「犬神家の一族」の相続相談(3)―― 一族を震撼させた犬神佐兵衛の遺言状(1/2ページ)
谷口 亨
2021/03/12
横溝正史の長編推理小説『犬神家の一族』。戦後直後の昭和20年代、莫大な財産を築いた犬神財閥の犬神佐兵衛が遺した遺言状(現在の「自筆証書遺言」)をきっかけに、次々と殺人事件が起きるという小説です。名探偵・金田一耕助が登場し、映画やテレビドラマにもなったことでよく知られています。
『犬神家の一族』が、横溝正史のほかの小説、あるいはこれまで数々の作家によって書かれてきた相続争いを描いた小説に比べて興味深いのは、被相続人である佐兵衛が、遺言状で財産を簡単には相続できないようにしているところです。佐兵衛にはその理由があるはずですが……。
そこで、時代背景も現代の民法とも異なる、さらに小説という架空の話ではありますが、実際にこうした相続の相談を受けたら、私ならどういった提案をするか――。現代の弁護士として、大きなトラブルが起きないように、また佐兵衛の思いと大きくずれないように、犬神家一族の相続を真剣に考えていきます。
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犬神家の財産は誰の手に?
連載1回目、2回目でお話ししたように、犬神家の家族構成は、とても特殊で一般の家庭とはまったく違うものです。一族の過去の出来事やそれぞれの思いが積み重なる中で、犬神佐兵衛さん(以下、佐兵衛翁)は息を引き取りました。そして、その後の相続を巡って、それぞれの思いが一気に吹き出し、殺人事件へとつながっていったわけです。
その引き金になったのが、佐兵衛翁の遺言状です。しかし、その内容によっては殺人事件が起きることはなかったはずです(それでは小説が成り立ちませんが)。いよいよ、その遺言状の中身を見ていきましょう。
この遺言状を一言でいうなら、なんとも「複雑」です。
遺言状は犬神家の大広間で、長女の松子さん、その子どもの佐清(すけきよ)くん、次女の竹子さん、夫の寅之助さん、その子どもの佐武(すけたけ)くんと小夜子(さよこ)さん、三女の梅子さん夫の幸吉さん、その子ども佐智(すけとも)くんという犬神家の一族。それに佐兵衛翁の恩人である野々宮大弐さんの孫・野々宮珠世さん、探偵の金田一耕助さんが並んだ席で、犬神家の顧問弁護士・古館恭三弁護士によって読み上げられました。
私にはこのように大勢の親族の前で遺言状を読み上げた経験はありません。もしも、犬神家一族の前で、佐兵衛翁の遺言状を読み上げなければならないとしたら、かなりの緊張を強いられ、冷や汗と動悸が止まらない、といった状態になっていたかもしれません。
犬神家・野々宮家 家系図
佐兵衛翁の遺言状は、次のように始まります。
「ひとつ……犬神家の全財産、ならびに全事業の相続権を意味する、犬神家の三種の家宝、斧(よき)、琴、菊はつぎの条件のもとに野々宮珠世に譲られるものとす。」
「全財産を珠世に譲る」──。この一文を耳にした松子さん、竹子さん、梅子さんの内心はいかばかりだったでしょうか。想像するだけで恐ろしい限りです。
その証拠に、この一文が読み上げられると、珠世さんは青ざめ、犬神家の一族からは憎しみに満ちた視線が「火箭(ひや)のように烈々と」注がれたのです。
ちなみに、遺言状に出てくる「斧、琴、菊」とは、野々村家が神官を務める那須神社の三種の神器で、後年、佐兵衛翁が黄金製の斧、琴、菊を作り、それを犬神家の家宝にしたというものだそうです。
遺言状の読み上げは、さらに続きます。
この記事を書いた人
弁護士
一橋大学法学部卒。1985年に弁護士資格取得。現在は新麹町法律事務所のパートナー弁護士として、家族問題、認知症、相続問題など幅広い分野を担当。2015年12月からNPO終活支援センター千葉の理事として活動を始めるとともに「家族信託」についての案件を多数手がけている。